・・・芸術家の素材となりその表現の資料となるものはわれわれの日常の眼前にころがっている。その中から何を発見してつまみ上げるかが第一歩の問題であり、第二は表現法の選み方である。映画芸術家の場合でも全く同様であって、一つの映画の価値を決定するものは全・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・なども、この大きな問題を考究するときの資料になるべきものであろう。 映画の世界の道徳は人間の世界の道徳とは必ずしも一致しなくてもよい。それは世界がちがうからである。しかし、一般の観客にはこの二つの世界の相違が明白に意識されていない。それ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・この前者の方則については心理学のほうから若干の根拠は供給されるとしても、後者に関する資料はほとんどすべての場合において永久に失われている。従ってほんとうに科学的な推定を下すということはほとんど望み難いことである。ただできうる唯一の方法として・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・もとよりただ、一つの貧しい参考資料を提供するという以外になんらの意図はないのである。そういうわけで、もちろん、論文でもなく教程でもなく、全く思いつくままの随筆である。文学者の文学論、文学観はいくらでもあるが、科学者の文学観は比較的少数なので・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・ しかし、この流行言葉を口にする人の中で、本当に学位濫造の事実があるかないかを判断するだけの資料と能力をもっている人がどれだけあるかは極めて疑わしいと思われる。 学位を受ける人の年ごとの数が大きいということだけでは少しも濫造の証拠に・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・熱心な野鳥研究家のうちにもしこの実測を試みる人があれば、その結果は自分の仮説などはどうなろうとも、それとは無関係に有益な研究資料となるであろう。 星野温泉はちょっとした谷間になっているが、それを横切って飛ぶことがしばしばあった。そういう・・・ 寺田寅彦 「疑問と空想」
・・・是亦明治風俗史の一資料たることを失わない。殊に根津遊廓のことに関しては当時の文書にして其沿革を細説したものが割合に少いので、わたくしは其長文なるを厭わず饒歌余譚の一節をここに摘録する事とした。徒に拙稿の紙数を増して売文の銭を貪らんがためでは・・・ 永井荷風 「上野」
・・・またおしゃまな娘美登里の住んでいた大黒屋の寮なども大方このあたりのすたれた寺や、風雅な潜門の家を、そのまま資料にしたものであろうと、通るごとにわたくしは門の内をのぞかずにはいられなかった。江戸時代に楓の名所といわれた正燈寺もまた大音寺前にあ・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ 遠山雲如の『墨水四時雑詠』には風俗史の資料となるべきものがある。島田筑波さんは既に何かの考証に関してこの詩集中の一律詩を引用しておられたのを、わたくしは記憶している。それは年年秋月与二春花一 〔年年 秋の月と春の花と行楽何・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・殺人姦淫事件は戦争前平和な世の中にも常にあった事であるから、この事だけでは特種な新聞を発行する資料にはなるまいと思われていたからである。およそ世の読者に興味のあるような残忍の事件はそう毎日毎日、紙上を埋めるほど頻々として連続するものではない・・・ 永井荷風 「裸体談義」
出典:青空文庫