・・・富の分配の不平等に社会の欠陥を見て、生産機関の公有を主張した、社会主義が何が恐い? 世界のどこにでもある。しかるに狭量神経質の政府は、ひどく気にさえ出して、ことに社会主義者が日露戦争に非戦論を唱うるとにわかに圧迫を強くし、足尾騒動から赤旗事・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ああ、夜ほど恐いもの、厭なものは無い。三時の茶菓子に、安藤坂の紅谷の最中を食べてから、母上を相手に、飯事の遊びをするかせぬ中、障子に映る黄い夕陽の影の見る見る消えて、西風の音、樹木に響き、座敷の床間の黒い壁が、真先に暗くなって行く。母さんお・・・ 永井荷風 「狐」
・・・自分の心に恐いと思うから自然幽霊だって増長して出たくならあね」と刃についた毛を人さし指と拇指で拭いながらまた源さんに話しかける。「全く神経だ」と源さんが山桜の煙を口から吹き出しながら賛成する。「神経って者は源さんどこにあるんだろう」・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・白熊はなかなか賢いよ。それからその次に面白いのは北極光だよ。ぱちぱち鳴るんだ、ほんとうに鳴るんだよ。紫だの緑だのずいぶん奇麗な見世物だよ、僕らはその下で手をつなぎ合ってぐるぐるまわったり歌ったりする。 そのうちとうとう又帰るようになるん・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・あまりよく出来てなんだか恐いようだ。この天童はどこかお前に肖 須利耶さまは童子をふりかえりました。そしたら童子はなんだかわらったまま、倒れかかっていられました。須利耶さまは愕ろいて急いで抱き留められました。童子はお父さんの腕の中で夢のよ・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
・・・あの時代、女と男との生活は原始ながら自然な条件を多くもっていたために、女は美しい女、醜い女、賢い女、愚かな女というようなおのずからな差別をうけながらも、女らしいという自然性については、何も特別な見かたはされていない。紫陽花が紫陽花らしいこと・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・ しかしながら、果して大人の世界が、こういう目も爽やかな、責任ある自由な生きかたによって営まれているでしょうか。 賢い少女たちは、実際を鋭く見抜いていると思います。今日の新聞を一頁よめば、到るところに、永年の嘘の皮が剥げて現れた醜い・・・ 宮本百合子 「美しく豊な生活へ」
・・・世間の賢い人は夫の栄達を望んだのだと言ってしまうだろう。これを書くわたくしもそれを否定することは出来ない。しかしもし商人が資本をおろし財利を謀るように、お佐代さんが労苦と忍耐とを夫に提供して、まだ報酬を得ぬうちに亡くなったのだと言うなら、わ・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・「もうすぐ空襲が始るそうですが、恐いですわね。」と梶の妻が云うと、「一機も入れない」と栖方は云ってまたぱッと笑った。このような談笑の話と、先日高田が来たときの話とを綜合してみた彼の経歴は、二十一歳の青年にしては複雑であった。中学は首席で・・・ 横光利一 「微笑」
・・・ 恐い夢 私は歯の抜ける夢をしばしば見る。音もなくごそりと一つの歯が抜ける。すると二つが抜ける。三つが抜けたと思わないのに、不思議に皆抜けているのである。赤い歯茎だけが尽く歯を落して了って、私の顔であるにも拘らずその歯・・・ 横光利一 「夢もろもろ」
出典:青空文庫