・・・ついには同属の狸までも化け始めて、徳川時代になると、佐渡の団三郎と云う、貉とも狸ともつかない先生が出て、海の向うにいる越前の国の人をさえ、化かすような事になった。 化かすようになったのではない。化かすと信ぜられるようになったのである――・・・ 芥川竜之介 「貉」
一「このくらいな事が……何の……小児のうち歌留多を取りに行ったと思えば――」 越前の府、武生の、侘しい旅宿の、雪に埋れた軒を離れて、二町ばかりも進んだ時、吹雪に行悩みながら、私は――そう思いました。・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・ それが大雪のために進行が続けられなくなって、晩方武生駅(越前へ留ったのです。強いて一町場ぐらいは前進出来ない事はない。が、そうすると、深山の小駅ですから、旅舎にも食料にも、乗客に対する設備が不足で、危険であるからとの事でありました。・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・ 同じ様に、越前国丹生郡天津村の風巻という処に善照寺という寺があって此処へある時村のものが、貉を生取って来て殺したそうだが、丁度その日から、寺の諸所へ、火が燃え上るので、住職も非常に困って檀家を狩集めて見張となると、見ている前で、障子が・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・ただ越前には間々あり。 近ごろある人に聞く、福井より三里山越にて、杉谷という村は、山もて囲まれたる湿地にて、菅の産地なり。この村の何某、秋の末つ方、夕暮の事なるが、落葉を拾いに裏山に上り、岨道を俯向いて掻込みいると、フト目の前に太く大な・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
朝六つの橋を、その明方に渡った――この橋のある処は、いま麻生津という里である。それから三里ばかりで武生に着いた。みちみち可懐い白山にわかれ、日野ヶ峰に迎えられ、やがて、越前の御嶽の山懐に抱かれた事はいうまでもなかろう。――・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・法師はくたびれて居てどうもしようがなかったのをたすけられてこの上もなくよろこび心をおちつけて油単の包をあらためて肩にかけながら、「私は越前福井の者でござりまするが先年二人の親に死に別れてしまったのでこの様な姿になりましたけれ共それがもうよっ・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・筒井氏の調査によると、冬季降雪の多い区域が、若狭越前から、近江の北半へ突き出て、V字形をなしている。そして、その最も南の先端が、美濃、近江、伊勢三国の境のへんまで来ているのである。従って、伊吹山は、この区域の東の境の内側にはいっているが、そ・・・ 寺田寅彦 「伊吹山の句について」
・・・と呼びながら一向出発せずに豆腐屋のような鈴ばかり鳴し立てている櫓舟に乗り、石川島を向うに望んで越前堀に添い、やがて、引汐上汐の波にゆられながら、印度洋でも横断するようにやっとの事で永代橋の河下を横ぎり、越中島から蛤町の堀割に這入るのであった・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・用番老中水野越前守忠邦の沙汰で、九郎右衛門、りよは「奇特之儀に付構なし」文吉は「仔細無之構なし」と申し渡された。それから筒井の褒詞を受けて酉の下刻に引き取った。 続いて酒井家の大目附から、町奉行の糺明が済んだから、「平常通心得べし」と、・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫