・・・ 僕はこの答えを聞いた時になぜか身の毛がよだちました。「その路があいにく見つからないのです。」 年をとった河童は水々しい目にじっと僕の顔を見つめました。それからやっと体を起こし、部屋の隅へ歩み寄ると、天井からそこに下がっていた一・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・それも打ったりつねったりするばかりか、夜更けを待っては怪しげな法を使って、両腕を空ざまに吊し上げたり、頸のまわりへ蛇をまきつかせたり、聞くさえ身の毛のよ立つような、恐しい目にあわせるのです。が、それよりもさらにつらいのは、そう云う折檻の相間・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・旧記の記者の語を借りれば、「頭身の毛も太る」ように感じたのである。すると老婆は、松の木片を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた死骸の首に両手をかけると、丁度、猿の親が猿の子の虱をとるように、その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。髪・・・ 芥川竜之介 「羅生門」
・・・頭が沈みこむとぬるりと四方からその跡を埋めに流れ寄る泥の動揺は身の毛をよだてた。クララは何もかも忘れて三人を救うために泥の中に片足を入れようとした。 その瞬間に彼女は真黄に照り輝く光の中に投げ出された。芝生も泥の海ももうそこにはなかった・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・鳥がものをいうと慄然として身の毛が弥立った。 ほんとうにその晩ほど恐かったことはない。 蛙の声がますます高くなる、これはまた仰山な、何百、どうして幾千と居て鳴いてるので、幾千の蛙が一ツ一ツ眼があって、口があって、足があって、身体があ・・・ 泉鏡花 「化鳥」
・・・ どれもこれも、どうだ、その総身の毛が真赤だろう。 しかも数が、そこへ来た五六十疋という、そればかりじゃない。後へ後へと群り続いて、裏山の峰へ尾を曳いて、遥かに高い処から、赤い滝を落し懸けたのが、岩に潜ってまた流れる、その末の開いた・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・筧の音して、叢に、虫鳴く一ツ聞えしが、われは思わず身の毛よだちぬ。 この虫の声、筧の音、框に片足かけたる、その時、衝立の蔭に人見えたる、われはかつてかかる時、かかることに出会いぬ。母上か、摩耶なりしか、われ覚えておらず。夢なりしか、知ら・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・――たとい殺さないまでもと思うと、今でも身の毛が立つほどだ。ほてって、顔が二つになったほど幅ったく重い。やあ、獅子のような面だ、鬼の面だ、と小児たちに囃されて、泣いたり怒ったり。それでも遊びにほうけていると、清らかな、上品な、お神巫かと思う・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ と、今視めても身の毛が悚立つ。……森のめぐりの雨雲は、陰惨な鼠色の隈を取った可恐い面のようで、家々の棟は、瓦の牙を噛み、歯を重ねた、その上に二処、三処、赤煉瓦の軒と、亜鉛屋根の引剥が、高い空に、赫と赤い歯茎を剥いた、人を啖う鬼の口に髣・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・手はふるえ、満面蒼くなりながら、身火烈々身体を焼きて、恍として、茫として、ほとんど無意識に、されど深長なる意味ありて存するごとく、満身の気を眼にこめて、その瞳をも動かさで、じっと人を目詰むれば他をして身の毛をよだたすことある、その時と同一容・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
出典:青空文庫