・・・ 誰れにでもああだろうと思うと、今さらのようにあの粗い肌が連想され、僕自身の身の毛もよだつと同時に、自分の心がすでに毛深い畜生になっているので、その鋭い鼻がまた別な畜生の尻を嗅いでいたような気がした。 一三 田島・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ これを見た、みんなのからだは、急にぞっとして身の毛がよだちました。「いつか行方のわからなくなった、三人の亡霊であろう。」と、みんなは、心でべつべつに思いました。「今日は、いやなものを見た。さあ、まちがいのないうちに陸へ帰ろう。・・・ 小川未明 「黒い人と赤いそり」
・・・ やや行き過ぎて若者の一人、いつもながら源叔父の今宵の様はいかに、若き女あの顔を見なばそのまま気絶やせんと囁けば相手は、明朝あの松が枝に翁の足のさがれるを見出さんもしれずという、二人は身の毛のよだつを覚えて振向けば翁が門にはもはや燈火見・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・不思議なるは自分が、この時かかる目的の為に外面に出ながら、外面に出て二歩三歩あるいて暫時佇立んだ時この寥々として静粛かつ荘厳なる秋の夜の光景が身の毛もよだつまでに眼に沁こんだことである。今もその時の空の美しさを忘れない。そして見ると、善にせ・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・そんな人たちの話をきくと、まるで身の毛もよだつようです。或一人は、当夜、火の手がせまって息ぐるしくてたまらないので、人のからだの下へぐんぐん顔をつッこんでうつ伏しになっていたが、しまいには、のどがかわいて目がくらみそうになる、そのうちに、た・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・私はことしの正月、いやもう、身の毛もよだつような思いをしました。それ以来、私は、てんで女というものを信用しなくなりました。うちの女房なんか、あんな薄汚い婆でも、あれで案外、ほかに男をこしらえているかも知れない。いや、それは本当に、わからない・・・ 太宰治 「嘘」
・・・さを思い、呆然として、わが身の下落の取りかえしのつかぬところまで来ている事をいまさらの如く思い知らされ、また同時に、身辺の世相風習の見事なほどの変貌が、何やら恐ろしい悪夢か、怪談の如く感ぜられ、しんに身の毛のよだつ思いをしたことであった。・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・「知性の極というものは、たしかにある。身の毛もよだつ無間奈落だ。こいつをちらとでも覗いたら最後、ひとは一こともものを言えなくなる。筆を執っても原稿用紙の隅に自分の似顔画を落書したりなどするだけで、一字も書けない。それでいて、そのひとは世にも・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・ と連呼し、やがて、ジャンジャンジャンというまことに異様な物音が内から聞え、それは婆が金盥を打ち鳴らしているのだという事が後でわかりましたが、私は身の毛のよだつほどの恐怖におそわれ、屋根から飛び降りて逃げようとしたとたんに、女房たちの騒ぎを・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・けれども、蚤か、しらみ、或いは疥癬の虫など、竹筒に一ぱい持って来て、さあこれを、お前の背中にぶち撒けてやるぞ、と言われたら、私は身の毛もよだつ思いで、わなわなふるえ、申し上げます、お助け下さい、と烈女も台無し、両手合せて哀願するつもりでござ・・・ 太宰治 「皮膚と心」
出典:青空文庫