・・・母がそう言って、それ見たかというような軽い笑顔をしながら持って来た。「やっぱり年寄がおらんとあかんて」兄はそんな情愛の籠ったことを言った。 晩には母が豆を煎っていた。「峻さん。あんたにこんなのはどうですな」そんなに言って煎りあげ・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・高い天井、白い壁、その上ならず壇の上には時ならぬ草花、薔薇などがきれいな花瓶にさしてありまして、そのせいですか、どうですか、軽い柔らかな、いいかおりが、おりおり暖かい空気に漂うて顔をなでるのです。うら若い青年、まだ人の心の邪なことや世のさま・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・ 遊戯恋愛の習慣 肉慾にまで至らない軽い遊戯恋愛の習慣はこれとは別の害毒を持つものである。すなわちそれは「軽薄」という有為な青年に最も忌むべき傾向である。うち明けていえば、私はこの種の「薄っぺら」よりは、まだしも・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・木村は、小声に相手の浅田にささやいていた。二人は向いあって、腰掛に馬乗に腰かけていた。木村は、軽い元気のない咳をした。「ロシアの兵隊は戦争する意志がないということだがな。」 浅田が云った。「そうかね、それは好もしい。」「しか・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・ ホンの会話的の軽い非難だったが、答えは急遽しかった。「御前へ出るのにイヤの何のと、そんな勿体ないことは夢にも思いません。だから校長に負けてしまいました。」「ハハア、校長のいいつけがイヤだったのだネ。」「そうです。だがもう私・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・とごとくこのあたりの溝へ放棄り経綸と申すが多寡が糸扁いずれ天下は綱渡りのことまるまる遊んだところが杖突いて百年と昼も夜ものアジをやり甘い辛いがだんだん分ればおのずから灰汁もぬけ恋は側次第と目端が利き、軽い間に締りが附けば男振りも一段あがりて・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・あの頃は先生もまだ若々しく、時には奥さんに軽い洋装をさせ、一緒に猿町辺を散歩した……先生にもそういう時代のあったことを知っている。 話し話し二人は歩いた。 坂に成った細道を上ると、そこが旧士族地の町はずれだ。古い屋敷の中には最早人の・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ウイリイはその中からほかのよりも少し軽いわらしびをより出してまたナイフで切るまねをしました。王女はびっくりして姿を現わして、「そのわらを切られると私の命がなくなるのですから。」と言ってあやまり、「それでは、もういきましょう。」と言い・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・両岸には人家や樹陰の深い堤があるので、川の女神は、女王の玉座から踏み出しては家毎の花園の守神となり、自分のことを忘れて、軽い陽気な足どりで、不断の潤いを、四辺のものに恵むのです。 バニカンタの家は、その川の面を見晴していました。構えのう・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・私は、悲しい時に、かえって軽い楽しい物語の創造に努力する。自分では、もっとも、おいしい奉仕のつもりでいるのだが、人はそれに気づかず、太宰という作家も、このごろは軽薄である、面白さだけで読者を釣る、すこぶる安易、と私をさげすむ。 人間が、・・・ 太宰治 「桜桃」
出典:青空文庫