・・・ おまけにね、どてらの心配もあるのよ。辞書をひくなんというやさしいことではなくて田中さんという浅草の女の人がいつになったら我が御亭主の為にポンポコどてらを縫い上げてくるかという心配。何しろ、東京の人はこれまで袷で冬を越しているから綿入着物が・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・礬水びきの美濃紙へ辞書をすっかり写したものさ、と云っていたが、それもこの時代の夫婦の一日の光景であったであろう。何かの儀式のとき、どうしても洋服にズボンがいるということになった。仕様がないから、俄に私の繻珍の丸帯をほどいてズボンにしておきせ・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・その人はこの頃大規模な辞書――百科全書を編纂していた。彼女の書店で、若しか一人若い筆の立つ女を助手として入用ではないだろうか。彼女自身役に立てる道はなくても、同じ仕事の他の方面を分担している人々が、万一需めているかもしれない。――「ああ・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・という洋語も知らず、また当時の辞書には献身という訳語もなかったので、人間の精神に、老若男女の別なく、罪人太郎兵衛の娘に現われたような作用があることを、知らなかったのは無理もない。しかし献身のうちに潜む反抗の鋒は、いちとことばを交えた佐佐のみ・・・ 森鴎外 「最後の一句」
・・・ F君と私とは会話辞書の話をした。Meyer と Brockhaus との得失を論ずる。こう云うドイツの本が Larousse や Britannica と違う所以を論ずる。俗書が段々科学的の書に接近して来る風潮を論ずる。とうとう私はラ・・・ 森鴎外 「二人の友」
出典:青空文庫