・・・彼女は細い路を辿りながら、「とうとう私の念力が届いた。東京はもう見渡す限り、人気のない森に変っている。きっと今に金さんにも、遇う事が出来るのに違いない。」――そんな事を思い続けていた。するとしばらく歩いている内に、大砲の音や小銃の音が、どこ・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・わたしは電燈のともりかかった頃に本郷東片町の彼女の宿へ辿り着いた。それはある横町にある、薄赤いペンキ塗りの西洋洗濯屋だった。硝子戸を立てた洗濯屋の店にはシャツ一枚になった職人が二人せっせとアイロンを動かしていた。わたしは格別急がずに店先の硝・・・ 芥川竜之介 「夢」
・・・雨、雷鳴、お島婆さん、お敏、――そんな記憶をぼんやり辿りながら、新蔵はふと眼を傍へ転ずると、思いがけなくそこの葭戸際には、銀杏返しの鬢がほつれた、まだ頬の色の蒼白いお敏が、気づかわしそうに坐っていました。いや、坐っているばかりか、新蔵が正気・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・いかなる詭弁も拒むことのできない事実の成り行きがそのあるべき道筋を辿りはじめたからだ。国家の権威も学問の威光もこれを遮り停めることはできないだろう。在来の生活様式がこの事実によってどれほどの混乱に陥ろうとも、それだといって、当然現わるべくし・・・ 有島武郎 「宣言一つ」
・・・けれども考えてみると、僕がここまで辿り着くのには、やはりこれだけの長い年月を費やす必要があったのだ。今から考えると、ようこそ中途半端で柄にもない飛び上がり方をしないで済んだと思う。あのころには僕にはどこかに無理があった。あのころといわずつい・・・ 有島武郎 「片信」
・・・少し墓らしい形の見えるのは、近間では、これ一つじゃあないか――それに、近い頃、参詣があったと見える、この線香の包紙のほぐれて残ったのを、草の中に覗いたものは、一つ家の灯のように、誰だって、これを見当に辿りつくだろうと思うよ。山路に行暮れたも・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・――宗ちゃん。」 振向きもしないで、うなだれたのが、気を感じて、眉を優しく振向いた。「…………」「姉さんが、魂をあげます。」――辿りながら折ったのである。……懐紙の、白い折鶴が掌にあった。「この飛ぶ処へ、すぐおいで。」 ・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・駅前の俥は便らないで、洋傘で寂しく凌いで、鴨居の暗い檐づたいに、石ころ路を辿りながら、度胸は据えたぞ。――持って来い、蕎麦二膳。で、昨夜の饂飩は暗討ちだ――今宵の蕎麦は望むところだ。――旅のあわれを味わおうと、硝子張りの旅館一二軒を、わざと・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・その弁当でいくらか力がついたので、またトボトボと歩いて、静岡まで来ましたが、ふらふらになりながら、まず探したのは交番、やっと辿りついて豊橋で弁当を盗んだことを自首しました。 人のよさそうな巡査はしかし取り合わず、弁当を恵んで、働くことを・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・武田さん自身言っていたように「リアリズムの果ての象徴の門に辿りついた」のが、これらの一見私小説風の淡い味の短篇ではなかったか。淡い味にひめた象徴の世界を覗っていたのであろう。泉鏡花の作品のようにお化けが出ていたりしていた。もっとも鏡花のお化・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
出典:青空文庫