・・・ 女はひそめた声で訊いた。そして私の返事を待たず、「御一緒に歩けしません?」 迷惑に思ったが、まさか断るわけにはいかなかった。 並んで歩きだすと、女は、あの男をどう思うかといきなり訊ねた。「どう思うって、べつに……。そん・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ どんな不面目迷惑を蒙らなければならぬか! そんな責任は俺にはないはずだ。万事は君が社と交渉していたのじゃないか……それをどこまでも白ばくれて、作家風々とか言って、万事はお他人任せといった顔して……それほどならばなぜ最初から素直に友人に打明・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・それでそんなとき――ことに食事のときなどは、彼らの足弱がかえって迷惑になった。食膳のものへとまりに来るときは追う箸をことさら緩っくり動かさなくてはならない。さもないと箸の先で汚ならしくも潰れてしまわないとも限らないのである。しかしそれでもま・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・いかねて猶予う光代、進まぬ色を辰弥は見て取りて、なお口軽に、私も一人でのそのそ歩いてはすぐに飽きてしまってつまらんので、相手欲しやと思っていたところへここにおいでなさったのはあなたの因果というもの、御迷惑でもありましょうが、まあ一しょに付き・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・』『自然こそいい迷惑だ、』と自分は笑った。高台に出ると四辺がにわかに開けて林の上を隠見に国境の連山が微かに見える。『山!』と自分は思わず叫んだ。『どこに、どこに、』と小山はあわただしく問うた。自分の指さす方へ、近眼鏡を向けて目を・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・という事をあえてしにくいので、自分が一刻も早く面白くない家を出てしまって世間へ飛び出したいという意からは、お浪親子の親切を嬉しいとは思いながら難有迷惑に思う気味もあるほどである。もちろんお浪親子がいかに一本路を見張っているにしても、その眼を・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・たこれを説けりお噺は山村俊雄と申すふところ育ち団十菊五を島原に見た帰り途飯だけの突合いととある二階へ連れ込まれたがそもそもの端緒一向だね一ツ献じようとさされたる猪口をイエどうも私はと一言を三言に分けて迷惑ゆえの辞退を、酒席の憲法恥をかかすべ・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・「どうだろう、次郎ちゃんは来たいと言ってるが、お前の迷惑になるようなことはなかろうか。」「そんなことはない。あのとおり二階はあいているし、次郎ちゃんの部屋はあるし、僕はもうそのつもりにして待っているところだ。」「半日お前の手伝いをさ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・主人がこれまで、たいへんなご迷惑ばかりおかけしてまいりましたようで、また、今夜は何をどう致しました事やら、あのようなおそろしい真似などして、おわびの申し上げ様もございませぬ。何せ、あのような、変った気象の人なので」 と言いかけて、言葉が・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・このような要求は研究に熱心な学者としての彼には迷惑なものに相違ないが、彼は格別厭な顔をしないで気永に親切に誰にでも満足を与えているようである。 彼の名声が急に揚がる一方で、彼に対する迫害の火の手も高くなった。ユダヤ人種排斥という日本人に・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫