・・・店員はほかにも四五人、金庫の前や神棚の下に、主人を送り出すと云うよりは、むしろ主人の出て行くのを待ちでもするような顔をしていた。「きょうは行けない。あした行きますってそう云ってくれ。」 電話の切れるのが合図だったように、賢造は大きな・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ お蓮は彼を送り出すと、ほとんど毎夜の事ながら、気疲れを感ぜずにはいられなかった。と同時にまた独りになった事が、多少は寂しくも思われるのだった。 雨が降っても、風が吹いても、川一つ隔てた藪や林は、心細い響を立て易かった。お蓮は酒臭い・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・ 夫を門の戸まで送り出すとき、奥さんはやっと大オペラ座の切符を貰っていた事を思い出して臆病げにこう云った。「あなた、あの切符は返してしまいましょうかねえ。」「なぜ。こんな事を済ましたあとでは、あんな所へでも行くのが却って好いのだ・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・足並を正さして、私が一二と送り出す…… すると、この頃塗直した、あの蒼い門の柱の裏に、袖口を口へ当てて、小児の事で形は知らん。頭髪の房々とあるのが、美しい水晶のような目を、こう、俯目ながら清しゅうみはって、列を一人一人見遁すまいとするよ・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・私も階下の四畳半にいてその音を聞きながら、七年の古巣からこの子を送り出すまでは、心も落ちつかなかった。仕事の上手なお徳は次郎のために、郷里のほうへ行ってから着るものなぞを縫った。裁縫の材料、材料で次ぎから次ぎへと追われている末子が学校でのけ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・まるで自分の娘でも送り出すように。それほど無邪気な人だった。 納戸から、部屋を通して、庭の方が見える。おせんが出たり入ったりした頃の部屋の光景が眼に浮ぶ。庭には古い躑躅の幹もあって、その細い枝に紫色の花をつける頃には、それが日に映じて、・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・ この三郎を郊外のほうへ送り出すために、私たちの家では半分引っ越しのような騒ぎをした。三郎の好みで、二枚の座ぶとんの更紗模様も明るい色のを造らせた。役に立つか立たないかしれないような古い椅子や古い時計の家にあったのも分けた。持たせてやる・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・例えば、瑣末な例であるが『武道伝来記』一の四に、女に変装させて送り出す際に「風俗を使やくの女に作り、真紅の網袋に葉付の蜜柑を入」れて持たせる記事がある。この網袋入りの蜜柑の印象が強烈である。また例えば『桜陰比事』二の三にある埋仏詐偽の項中に・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・いろいろな本で、講演で、未来のプロレタリア文化の建設者を送り出す土台として、全学齢児童就学を支持し、鼓舞している。 ソヴェト同盟の労働者、農民は社会主義生産を高めることによって、自身の文化を驚異的に高めつつある。ところが、階級が文化的に・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・本当によい労働者、そして本当にいい歌い手であれば、あの男の歌ならみんなが聴いて喜ぶ、あの人をわれらの歌い手にしようじゃないかと、だんだん上のコンクールへ出したり、勉強させて、アカデミーまで送り出すのです。こういう可能が、社会条件のうちにあれ・・・ 宮本百合子 「社会と人間の成長」
出典:青空文庫