・・・先生はこういう時、つくづくこれが先祖代々日本人の送り過越して来た日本の家の冬の心持だと感ずるのである。宝井其角の家にもこれと同じような冬の日が幾度となく来たのであろう。喜多川歌麿の絵筆持つ指先もかかる寒さのために凍ったのであろう。馬琴北斎も・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・二十年前大学の招聘に応じてドイツを立つ時にも、先生の気性を知っている友人は一人も停車場へ送りに来なかったという話である。先生は影のごとく静かに日本へ来て、また影のごとくこっそり日本を去る気らしい。 静かな先生は東京で三度居を移した。先生・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生の告別」
・・・非役の輩は固より智力もなく、かつ生計の内職に役せられて、衣食以上のことに心を関するを得ずして日一日を送りしことなるが、二、三十年以来、下士の内職なるもの漸く繁盛を致し、最前はただ杉檜の指物膳箱などを製し、元結の紙糸を捻る等に過ぎざりしもの、・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・行幸の供にまかる人を送りては、「聞くだに嬉し」と詠み、雪の頃旅立つ人を送りては、「用心してなだれに逢ふな」と詠めり。楽みては「楽し」と詠み、腹立てては「腹立たし」と詠み、鳥啼けば「鳥啼く」と詠み、螽飛べば「螽飛ぶ」と詠む。これ尋常のことのご・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・子どもらばかりボートの中へはなしてやってお母さんが狂気のようにキスを送りお父さんがかなしいのをじっとこらえてまっすぐに立っているなどとてももう腸もちぎれるようでした。そのうち船はもうずんずん沈みますから、私はもうすっかり覚悟してこの人たち二・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・某誌が軍部御用の先頭に立っていた時分、良人や息子や兄弟を戦地に送り出したあとのさびしい夜の灯の下であの雑誌を読み、せめてそこから日本軍の勝利を信じるきっかけをみつけ出そうとしていた日本の数十万の婦人たちは、なにも軍部の侵略計画に賛成していた・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・殿は申に及ばず、その頃の御当主妙解院殿よりも出格の御引立を蒙り、寛永九年御国替の砌には、松向寺殿の御居城八代に相詰め候事と相成り、あまつさえ殿御上京の御供にさえ召具せられ、繁務に逐われ、空しく月日を相送り候。その内寛永十四年嶋原征伐と相成り・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・竹藪を廻ると急に彼は駈け出したが、結局このままでは自分から折れない限り、二人の間でいつまでも安次を送り合わねばならぬと考えついた時には、もう彼の足は鈍っていた。そして今逆に先手を打って、安次を秋三から心良く寛大に引き取ってやったとしたならば・・・ 横光利一 「南北」
・・・徳蔵おじはモウ年が寄って、故郷を離れる事が出来ないので、七年という実に面白い気楽な生涯をそこで送り、極おだやかに往生を遂る時に、僕をよんで、これからは兼て望の通り、船乗りになっても好といいました。僕は望が叶たんだから、嬉しいことは嬉しいけれ・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・そのひとり子をこの世に送り、彼を死よりよみがえらせて明らかな証を我々に示したこの大いなる神を信じないか。云々。 ――このパウロの熱心は、とにかく千数百年の後まで権威を持ち続けた。たとえ偶像礼拝の傾向が聖母崇拝や使徒崇拝などの形で生き残っ・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫