・・・しかるに豹一は半分逃足だった。会わす顔もないと思っていたところを偶然出くわしたので、まごまごしていた。いきなり逃げだそうとしたその足へ、とたんに自尊心が蛇のように頭をあげてきて、からみついた。あんな恥かしいところを見られたのだから名誉を回復・・・ 織田作之助 「雨」
・・・目まぐるしい変転する世相の逃足の早さを言うのではない。現実を三角や四角と思って、その多角形の頂点に鉤をひっかけていた新吉には、もはや円形の世相はひっかける鉤を見失ってしまったのだ。多角形の辺を無数に増せば、円に近づくだろう。そう思って、新吉・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・それほど彼らは逃げ足が遅い。逃げ足が遅いだけならまだしも、わずかな紙の重みの下で、あたかも梁に押えられたように、仰向けになったりして藻掻かなければならないのだった。私には彼らを殺す意志がなかった。それでそんなとき――ことに食事のときなどは、・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・「井伏の小説は、実に、逃げ足が早い。」 また、或る人は、ご叮嚀にも、モンテーニュのエッセエの「古人の吝嗇に就いて」という章を私に見せて、これが井伏の小説の本質だなどと言った。すなわち、「アフリカに於ける羅馬軍の大将アッチリウ・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
出典:青空文庫