・・・その後に冬木立の逆様に映った水面の絵を出したらそれは入選したが「あれはあまり凝り過ぎてると碧梧桐が云ったよ」という注意を受けた。 やはりその頃であったと思うが、子規が熟柿を写生した絵を虚子が見て「馬の肛門かと思った」と云った。それを子規・・・ 寺田寅彦 「明治三十二年頃」
・・・家中の者皆障子を蹴倒して縁側へ駈け出た。後で聞けば、硫黄でえぶし立てられた獣物の、恐る恐る穴の口元へ首を出した処をば、清五郎が待構えて一打ちに打下す鳶口、それが紛れ当りに運好くも、狐の眉間へと、ぐっさり突刺って、奴さん、ころりと文句も云わず・・・ 永井荷風 「狐」
・・・懸想されたるブレトンの女は懸想せるブレトンの男に向って云う、君が恋、叶えんとならば、残りなく円卓の勇士を倒して、われを世に類いなき美しき女と名乗り給え、アーサーの養える名高き鷹を獲て吾許に送り届け給えと、男心得たりと腰に帯びたる長き剣に盟え・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・と、吉里は猪口を出したが、「小杯ッて面倒くさいね」と傍にあッた湯呑みと取り替え、「満々注いでおくれよ」「そろそろお株をお始めだね。大きい物じゃア毒だよ」「毒になッたッてかまやアしない。お酒が毒になッて死んじまッたら、いッそ苦労がなく・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・あるいはこれを捨てて用いざらんか、怨望満野、建白の門は市の如く、新聞紙の面は裏店の井戸端の如く、その煩わしきや衝くが如く、その面倒なるや刺すが如く、あたかも無数の小姑が一人の家嫂を窘るに異ならず。いかなる政府も、これに堪ゆること能わざるにい・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・島崎土夫主の軍人の中にあるに妹が手にかはる甲の袖まくら寝られぬ耳に聞くや夜嵐 上三句重く下二句軽く、瓢を倒にしたるの感あり。ことに第四句力弱し。狛君の別墅二楽亭広き水真砂のつらに見る庭のながめ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・と吟じつつ行けば どつさりと山駕籠おろす野菊かな 石原に痩せて倒るゝ野菊かななどおのずから口に浮みてはや二子山鼻先に近し。谷に臨めるかたばかりの茶屋に腰掛くれば秋に枯れたる婆様の挨拶何となくものさびて面白く覚ゆ。見あぐれ・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・(共に倒(銅鑼バナナン大将登場。バナナのエボレットを飾り菓子の勲章を胸に満せり。バナナン大将「つかれたつかれたすっかりつかれた脚はまるっきり 二本のステッキいったいすこぅし飲み過ぎたのだし・・・ 宮沢賢治 「饑餓陣営」
・・・二人はしゃがんで籠を倒にして数を数えてから小さいのはみんなまた籠に戻しました。「丁度いいよ、七十ある。こいつをここらへ立ててこう。」 紺服の人はきのこを草の間に立てようとしましたがすぐ傾いてしまいました。「ああ、萱で串にしておけ・・・ 宮沢賢治 「二人の役人」
・・・彼はまた逆様になってその段々を降り出した。裾がまくれて白い小さな尻が、「ワン、ワン。」と吠えながら少しずつ下がっていった。「エヘエヘエヘエヘ。」 女の子は腹を波打たして笑い出した。二、三段ほど下りたときであった。突然、灸の尻は撃たれ・・・ 横光利一 「赤い着物」
出典:青空文庫