・・・し、純粋小説とは純粋になればなるほど形式が不純になり、複雑になり、構成は何重にも織り重って遠近法は無視され、登場人物と作者の距離は、映画のカメラアングルのように動いて、眼と手は互いに裏切り、一元描写や造形美術的な秩序からますます遠ざかるもの・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・奈良に住むと、小説が書けなくなるというのも、造型美術品から受ける何ともいいようのない単純な感動が、小説の筆を屈服させてしまうからであろう。だから、人間の可能性を描くというような努力をむなしいものと思い、小説形式の可能性を追究して、あくまで不・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・すべきか、全編をいくつの場面に分割すべきか、一つ一つの場面にいかなる造型的視覚的素材を用ゆべきかを考えなければならない。すなわち物語を「モンタージュ画像」の言葉に翻訳しなければならない。この際における創作的過程は映画監督のそれとかなりまで類・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・もっとも中には、実際に、単に素材のみならず、その造型構成のイデーまでも弟子の独創によってできあがったものを、先生が、先生であるというだけの特権を濫用してそっくりわが物にして涼しい顔をする場合もないとは言われないが、またそうでない場合がずいぶ・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・ 善光寺を建てた坊さんは、長野の市街が天然にもっている土地の勾配というものを実にうまくとらえ、造形化したものだと思う。見通しの美的効果というものを、敏感に利用している。その勾配を、小旗握った宿屋の番頭に引率された善男善女の大群が、連綿と・・・ 宮本百合子 「上林からの手紙」
・・・知性さえも先ず個性的な造型であらなければならなかった。 民主的な文学をこころざして生れようとしている作家たちにとっての困難は、人民的な立場として共通な現実観の客観的な同一性のうちに、集団的行動とその経験のうちに、その人としての人間的実感・・・ 宮本百合子 「現代文学の広場」
・・・日本の労働者階級が民主革命の途上で自身の文学の成果として造型してゆかなければならない諸階級との関係は、多くの複雑さを必要とするものである。 政治の優位性の問題は、今日まで四年間の苦しい経験によって、イデオロギーの問題から、創作の現実過程・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・をもって宇野浩二の私小説作家の末路としたのは、なおそのリアリズムに林房雄の欲しないゴーゴリ的な日本の人生の現実が造形されているからにほかならない。本来の日本のユーモラスであり腹立たしい人生が見せられたからである。佐藤春夫の「人間天皇の微笑」・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・文学的行動主義が、造型芸術における野獣派、ピュリズム、プリミチヴィズム、シムルタニズム、表現主義或いは超現実主義の表現方法に多くの近似を見出すのはその故である。行動主義は創造的制作の上に立つものであるが故に、恒に制作がなさるる時代、もっ・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ 私たちは、めいめいの生活に即し、そこに動き流れる表現として造形的な美しさをも捉え創り出してゆく心の抑揚をゆたかにしたいものだと思う。ものを美しく精髄的につかうわざを会得してゆきたい。美しいものもそれが一定の関係の下では醜いものと転化し・・・ 宮本百合子 「生活のなかにある美について」
出典:青空文庫