・・・トラックの中に、荷物の間に五六人のスキャップを積み込んで、会社間近まで来たとき、トラックの運転手と変装していた利平が、ひどくやられたのもこのときであったのだ。 それでも、職長仲間の血縁関係や、例えば利平のように、親子で勤めている者は、そ・・・ 徳永直 「眼」
・・・ その年雪が降り出した或日の晩方から電車の運転手が同盟罷工を企てた事があった。尤わたしは終日外へ出なかったのでその事を知らなかったが、築地の路地裏にそろそろ芸者の車の出入しかける頃、突然唖々子が来訪して、蠣殻町の勤先からやむをえず雪中歩・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・後にも先にも電車が止っている。運転手も車掌もいつの間にやら何処へか行ってしまった。「また喰ったんだ。停電にちげえねえ。」 糸織の羽織に雪駄ばきの商人が臘虎の襟巻した赧ら顔の連れなる爺を顧みた。萌黄の小包を首にかけた小僧が逸早く飛出し・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・瞬時の休息なく運転しつつ進んでいる。だから今日の社会状態と、二十年前、三十年前の社会状態とは、大変趣きが違っている。違っているからして、我々の内面生活も違っている。すでに内面生活が違っているとすれば、それを統一する形式というものも、自然ズレ・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・そのマシン油たるや、充分に運転しているジャックハムマーの、蝶バルブや、外部の鉄錆を溶け込ませているのであったから、それは全く、雪と墨と程のよい対照を為した。 印度人の小作りなのが揃って、唯灰色に荒れ狂うスクリーンの中で、鑿岩機を運転して・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・第三、地理書 地球の運転、山野河海の区別、世界万国の地名、風俗・人情の異同を知る学問なり。いながら知るべき名所を問わず、己が生れしその国を天地世界と心得るは、足を備えて歩行せざるが如し。ゆえに地理書を学ばざる者は、跛者に異な・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・庄助は、まるで電車を運転するときのように落ちついて、立って一あし水にはいると、すぐその持ったものを、さいかちの木の下のところへ投げこんだ。するとまもなく、ぼぉというようなひどい音がして、水はむくっと盛りあがり、それからしばらく、そこらあたり・・・ 宮沢賢治 「さいかち淵」
・・・に満足しないで、労働階級は生産機関を握り、社会の運転を担当している階級なのだから、ブルジョア文学者のうかがい知ることの出来ない生産と労働と搾取との世界を解剖し、描写すべきであると主張された。 プロレタリア文学運動が、端緒的であった自身の・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第六巻)」
・・・しかし金ばかりでは機関が運転して行くものではない。職工の多数の意志に対抗する工場主の一人の意志がなくてはならない。工場主は自分の意志で機関を運転させて行くのである。 社会問題にいくら高尚な理論があっても、いくら緻密な研究があっても、己は・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
・・・その臨時汽車はすぐ前日から運転し始めたのだった。「こいつは運がいい。」と私は思った。しかし時間を勘定してみてやはり一時間ばかり待たなければならない事がわかると、私の心はまた元へ戻り始めた。「何だ、こんな事で埋め合わせをするのか、畜生め。」私・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫