・・・けれども私は、少しずつ、どうやら阿呆から眼ざめていた。遺書を綴った。「思い出」百枚である。今では、この「思い出」が私の処女作という事になっている。自分の幼時からの悪を、飾らずに書いて置きたいと思ったのである。二十四歳の秋の事である。草蓬々の・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・詩は、あきらめて、こんどは、三鷹の義兄に宛てた遺書の作製をこころみる。 私は死にます。 こんどは、犬か猫になって生れて来ます。 もうまた、書く事が無くなった。しばらく、手帖のその文面を見つめ、ふっと窓のほうに顔をそむ・・・ 太宰治 「犯人」
・・・ けれども、感謝のために、私は、あるいは金のために、あるいは子供のために、あるいは遺書のために、苦労して書いておるにすぎない。人を嘲えず、自分だけを、ときたま笑っておる。そのうちに、わるい文学は、はたと読まれなくなる。民衆という混沌の怪・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・黄村の遺書にはこういう意味のことがらが書かれていた。わしは嘘つきだ。偽善者だ。支那の宗教から心が離れれば離れるほど、それに心服した。それでも生きて居れたのは、母親のないわが子への愛のためであろう。わしは失敗したが、この子を成功させたかったが・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・ 尤も奥さんの綾子さんの方でも、随分気はつけていた。遺書のようなものを、肌を離さずに持っていたのを、どうかした拍子に、ちらと見てからと云うもの、少しも気を許さない。どこへ出るにも馬丁をつけてやることにしていたんだ。夜分なども、碌々眠らな・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・小万は涙ながら写真と遺書とを持ったまま、同じ二階の吉里の室へ走ッて行ッて見ると、素より吉里のおろうはずがなく、お熊を始め書記の男と他に二人ばかり騒いでいた。小万は上の間に行ッて窓から覗いたが、太郎稲荷、入谷、金杉あたりの人家の燈火が・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ 小万は涙ながら写真と遺書とを持ったまま、同じ二階の吉里の室へ走ッて行ッて見たが、もとより吉里のおろうはずがなく、お熊を始め書記の男と他に二人ばかりで騒いでいた。 小万は上の間へ行ッて窓から覗いたが、太郎稲荷、入谷金杉あたりの人家の・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・二人の娘の女としての行末もやはり自分のように他人の意志によってあちらへ動かされ、こちらへ動かされするはかないものであって見れば、後に生き永らえさせることも哀れと思うからというはっきりした遺書をのこして、娘たちをわが手にかけて自刃したのであっ・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・ 義母のひどい事を長々と遺書にして、下駄の上にのせ、大きな石を袂に入れて…… 身も世もあらず歎く母親の心を思う時、お君は、胸がこわばる様になった。 始めて目の覚めたお金奴の顔が見てやりたい。 さっきっから渋い顔をして何事か案・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
森鴎外の「歴史もの」は、大正元年十月の中央公論に「興津彌五右衛門の遺書」が載せられたのが第一作であった。そして、斎藤茂吉氏の解説によると、この一作のかかれた動機は、その年九月十三日明治大帝の御大葬にあたって乃木大将夫妻の殉・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
出典:青空文庫