・・・った、茶の湯は趣味の綜合から成立つ、活た詩的技芸であるから、其人を待って始めて、現わるるもので、記述も議論も出来ないのが当前である、茶の湯に用ゆる建築露路木石器具態度等総てそれ自身の総てが趣味である、配合調和変化等悉く趣味の活動である、趣味・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・東京市街の一端、あるいは甲州街道となり、あるいは青梅道となり、あるいは中原道となり、あるいは世田ヶ谷街道となりて、郊外の林地田圃に突入する処の、市街ともつかず宿駅ともつかず、一種の生活と一種の自然とを配合して一種の光景を呈しおる場処を描写す・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・お皿ひとつひとつに、それぞれ、ハムや卵や、パセリや、キャベツ、ほうれんそう、お台所に残って在るもの一切合切、いろとりどりに、美しく配合させて、手際よく並べて出すのであって、手数は要らず、経済だし、ちっとも、おいしくはないけれども、でも食卓は・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・花冠の美しさだけでなくて花萼から葉から茎までが言葉では言えないような美しい色彩の配合を見せていたように思う。観賞植物として現代の都人にでも愛玩されてよさそうな気のするものであるが、子供のとき宅の畑で見たきりでその後どこでもこの花にめぐり合っ・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・この基調をなす黒斑に対応するためにいろいろの黒いものが配合されている。たとえば塗下駄や、帯や、蛇の目傘や、刀の鞘や、茶托や塗り盆などの漆黒な斑点が、適当な位置に適当な輪郭をもって置かれる事によって画面のつりあいが取れるようになっている。多数・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・しかしわれわれのような観賞者の立場からすれば配合調和相生というのも、対立衝突相剋というのも、作者の主観以外には現象としての本質的な差を認めなくても結果においてたいした差はないようである。要は結局エイゼンシュテインが視覚的陪音と呼び、あるいは・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・のごとき意味での独裁的主役は無い、むしろいろいろな個性の配合そのもののほうに観客のおもなる興味がつながれているように思われる。それでたとえば軽い意味の助演者としてのスパークスなどという役者でも決してただのむだな点景人物ではなくて、言わば個性・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・ 柿色の顔と萌黄色の衣装の配合も特殊な感じを与える。頭に冠った鳥冠の額に、前立のように着けた鳥の頭部のようなものも不思議な感じを高めた。私はこの面の顔の表情に、どこか西洋画で見るパンの神のそれに共通なものがあるような気がしてならなかった・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・停車場のくすぶった車庫や、ペンキのはげかかったタンクや転轍台のようなものまでも、小春の日光と空気の魔術にかかって名状のできない美しい色の配合を見せていた。それに比べて見ると、そこらに立っている婦人の衣服の人工的色彩は、なんとなくこせこせした・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・ それからこの夏八月始めて諏訪湖畔を汽車で通りました、知人に諏訪の人が数人あるので特に興味があって汽車の窓から風景や民家の様式などに注意して見て来ました、あの辺の家屋の屋根の形や色の配合などの与える一種特別な感じがありますがその感じの中・・・ 寺田寅彦 「書簡(1[#「1」はローマ数字1、1-13-21])」
出典:青空文庫