・・・しかし特殊の題目について重なる学術国の重なる研究者の研究の結果を up to date に調べ上げて、その題目に対する既得知識の終点を究める事は可能である。これを究めてどこまでが分っているかという境界線を究め、しかる後その境界線以外に一歩を・・・ 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
・・・日本人は子音の重なるのは不得意だから st がsになることは可能である。漆喰が stucco と兄弟だとすると、この説にも一顧の価値があるかもしれない。ついでに (Skt.)jval は「燃える」である。「じわりじわり」に通じる。 なす・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・海洋に関する物理的事項の重なるものについては近頃出版した拙著『海の物理学』にその梗概を述べておいた。なお直接水産方面に関して、自分の知っているだけの僅少な例を挙げてみると、第一に漁具ことに網の研究である。各種の網糸の強弱弾性やその温度湿度に・・・ 寺田寅彦 「物理学の応用について」
・・・しかし音の重なる場合には二つのものはそれぞれ単独にある場合の独立性を失わない。 この事実はトーキー製作者の利用のしかたによっては、いろいろの可能性を生み出すであろう。現在でもすでにかなり利用されてはいるようである。簡単平凡な例を取れば、・・・ 寺田寅彦 「耳と目」
・・・片側の大名邸の高い土堤の上に茂り重なる萩青芒の上から、芭蕉の広葉が大わらわに道へ差し出て、街燈の下まで垂れ下がり、風の夜は大きな黒い影が道一杯にゆれる。かなりに長いこの阪の凸凹道にただ一つの燈火とそのまわりの茂りのさまは、たださえ一種の強い・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・吉原から浅草に至る通路の重なるものは二筋あった。その一筋は大門を出て堤を右手に行くこと二、三町、むかしは土手の平松とかいった料理屋の跡を、そのままの牛肉屋常磐の門前から斜に堤を下り、やがて真直に浅草公園の十二階下に出る千束町二、三丁目の通り・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・建碑について尽力した人の重なるものは、その時には既に世を去っていた成島柳北と今日なお健在の富商大倉某らであった事が碑文に言われている。かくの如く堤上の桜花が梅若塚の辺より枕橋に至るまで雲か霞の如く咲きつらなったのは、江戸時代ではなくしてかえ・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・かくして人心に向上の念がある以上、永久にローマン主義の存続を認むると共に、総ての真に価値を発見する自然主義もまた充分なる生命を存して、この二者の調和が今後の重なる傾向となるべきものと思うのであります。 近頃教育者には文学はいらぬというも・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・余は新人の社員として、その時始めてわが社の重なる人と食卓を共にした。そのうちに長谷川君もいたのである。これが長谷川君でと紹介された時には、かねて想像していたところと、あまりに隔たっていたので、心のうちでは驚きながら挨拶をした。始め長谷川君の・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・そこにはそれ相当な因縁、すなわち先刻申上げた大村君の鄭重なる御依頼とか、私の安受合とか、受合ったあとの義務心とか、いろいろの因縁が和合したその結果かくのごとくフロックコートを着て参りました。この関係を因果の法則と称えております。 すると・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
出典:青空文庫