・・・ たとえ、それがために、現在のごとき、燦然たる機械文明は見られなくとも、また大量的な生産機関に発達しなくとも、そのかわり、相殺し、相陥ることから全く救われていたと言える。しかるに、資本主義的文化によって、人類の富は、平等を欠き、平和は、・・・ 小川未明 「単純化は唯一の武器だ」
・・・それは量的に拡がり得るが質的のインテンシチイにおいてはなはだ足らず、心奥の神秘を探究するのにいかにも竿が短かい。幸福主義は必ず結果主義と結びつき、動機を重んずる人格主義と対立するが、道徳的価値の中核が動機になくてはならぬのは当然なことであっ・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・戦争小説は、量的には無数に現れた。江見水蔭だけでも、百三十四篇を書いている。しかしながら、その多くは日清戦争当時と同じく、真面目な文学的努力になるものではなかった。この十年間に、文学運動の上では、言文一致の提唱とその勝利があったが、そしてそ・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・その喜びの中には相似三角形に関する測量的認識の歓喜が籠っている。」「物理学の初歩としては、実験的なもの、眼に見えて面白い事の外は授けてはいけない。一回の見事な実験はそれだけでもう頭の蒸餾瓶の中で出来た公式の二十くらいよりはもっと有益な場・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・その影響の量的数式的関係なども少し勉強すれば容易に見つかりそうに思われる。アマチュア昆虫生態学者にとっては好個のテーマになりはしないかという気がしたのであった。 とんぼがいかにして風の方向を知覚し、いかにしてそれに対して一定の姿勢をとる・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・「物理学はエキザクトサイエンスである。」この言葉ほどひどく誤解されてそしてそのおかげでエキザクトな物理学の進歩を阻害している言葉はない。「量的に」この言葉も同様である。 六「中等教科書に現われた物理ほど非物理的な・・・ 寺田寅彦 「人の言葉――自分の言葉」
・・・神輿の運動の変異量と、その質量や舁夫の人数、各人の筋力、体量等との間に或る量的関係を見いだすことは充分可能でありそうに思われる。 今、たとえば、次のような問題があったとする。一年三百六十五日間における日々の甲某百貨店の第X売り場における・・・ 寺田寅彦 「物質群として見た動物群」
・・・生徒らの目には世界が急に素量的に飛躍したように感ぜられた。そうしてさらに次にきたるべき時代への希望と憧憬といったようなものが封建期の子供らの頭の中に勢いよく芽ばえ始めたのであった。 まいた種のうちでもクリケットやクロケーは風土に合わ・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
・・・ この歴史的事実は往々、「質的の研究が量的の研究に変わったために、そこで始めてほんとうの科学が初まった」というお題目のような命題の前提として引用される。これは、この言葉の意味の解釈次第ではまさにそのとおりであるが、しかしこういう簡単な、・・・ 寺田寅彦 「量的と質的と統計的と」
・・・なおエピキュリアンが時を素量的のものと考えたという事を何かで読んだことがあるが、ルクレチウスの中で明白にそう言ってあるのは私には見当たらなかった。またラスウィッツの「原子論史」によると、アラビアのムタカリムンと称する一派の学者は時を連続的と・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
出典:青空文庫