・・・死ぬることへ、まっすぐに一すじ、明快、完璧の鋳型ができていて、私は、鎔かされた鉛のように、鋳型へさっと流れ込めば、それでよかった。何故に縊死の形式を選出したのか。スタヴロギンの真似ではなかった。いや、ひょっとすると、そうかも知れない。自殺の・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・ その場合には、甲の頭の中にはちゃんとAの鋳型のようなものが出来ているので、BCDの中に、ちょっとでもAに似たところがあると、その点をつかまえて、Aの鋳型にあてがって、そうして他の部分をその型に鋳直してしまうらしい。 これとはまた全・・・ 寺田寅彦 「観点と距離」
・・・後者等は大体において人間心理を伝統的理想の鋳型に嵌めて活動させているとしか思われないのに反して、西鶴だけは自分自身の肉眼で正視し洞察し獲得した実証的素材を赤裸々に記録している傾向がある。 西鶴の人間に関する観察帰納演繹の手法を例示するも・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・同じ懸崖にしても、少しはなんとかちがった格好をしたのがあってもよさそうに思われるが、どれを見てもまるで鋳型に入れたようなもので、ばらの枝がみんな窮屈そうな顔をしてからみ合っているのである。こんなにはやらない前の懸崖作りはもう少しリベラリステ・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・昔の小学校の先生などとちがってあまりに立派な教育者としての素養があり過ぎるために、またその上に文部省の監督があまりに行き届き過ぎるために教場における授業が窮屈で煩瑣な鋳型にはいってしまって、その結果は自由に広大であるべきものを極端に制限して・・・ 寺田寅彦 「さるかに合戦と桃太郎」
・・・少し離れて見れば一隊の兵士は同じ鋳型でこしらえた鉛の兵隊のように見える。しかし食堂女給のような場合にもまた逆に服装が同一であるために個人の個性がかえって最も顕著に示揚されるようにも見える。清長型、国貞型、ガルボ型、ディートリヒ型、入江型、夏・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・西洋人は自然を勝手に手製の鋳型にはめて幾何学的な庭を造って喜んでいるのが多いのに、日本人はなるべく山水の自然をそこなうことなしに住居のそばに誘致し自分はその自然の中にいだかれ、その自然と同化した気持ちになることを楽しみとするのである。 ・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・ 世人は自分勝手に自分らの東郷さんの鋳型をこしらえて、そうして理が非でもその型にはまることを要求した。寛容な東郷大将はそうした大衆の期待を裏切って失望させては気の毒だと思って、かなりそのために気をつかっておられたのではないかという気もす・・・ 寺田寅彦 「藤棚の陰から」
・・・その後は特に俳句のために気焔を吐いて病牀でしばしばその俳句を評論する機会も多くなったが、さてその句はどうかというと、或鋳型の中に一定したという事はないために善いと思う事もあり悪いと思う事もあり、老成だと思う事もあり初心だと思う事もあり、しっ・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・個人の才能、傾向、性格、そんなものは蹴散らされ、たった一つの鋳型=共産主義教育にうちぬかれた機械人形のような子供らが出来るのだろうと思っていた。 ところが、一年一年経つうちに、皮肉で批評的なブルジョア国の観察者たちも段々感心しはじめて来・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
出典:青空文庫