・・・古奈、長岡――長岡を出た山路には、遅桜の牡丹咲が薄紫に咲いていた。長瀬を通って、三津の浜へ出たのである。 富士が浮いた。……よく、言う事で――佐渡ヶ島には、ぐるりと周囲に欄干があるか、と聞いて、……その島人に叱られた話がある。が、巌山の・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・音ばかり長い響きを曳いて、汽車は長岡方面へ夜のそくえに馳せ走った。 予は此の停車場へ降りたは、今夜で三回であるが、こう真暗では殆んど東西の見当も判らない。僅かな所だが、仕方がないから車に乗ろうと決心して、帰りかけた車屋を急に呼留める。風・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・日本人のものでは長岡博士の「田園銷夏漫録」とか岡田博士の「測候瑣談」とか、藤原博士の「雲をつかむ話」や「気象と人生」や、最近に現われた大河内博士の「陶片」とか、それからこれはまだ一部しか見ていないが入沢医学博士の近刊随筆集など、いずれも科学・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・その当時理科大学物理学科の聴講生となって長岡博士その他の物理学に関する講義に出席した。翌三十五年助教授となり、四十二年応用力学研究のため満二年間独国及び英国へ留学を命ぜられ、これと同時に工学博士の学位を授けられた。四十四年帰朝後工科大学教授・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・故長岡将軍くらいの程度ならばこういう認識不足はないであろうが。 知人の家の結婚披露の宴に出席する。宅へ帰って「お嫁さんはきれいなかたでしたか」と聞かれれば「きれいだったよ」と答える。およそ、きれいでない新婦などは有り得ないのである。しか・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・室の入口の外の廊下には色々の人声がしていた、長岡先生のいつものような元気のいい改まった言葉も聞えた、真鍋さんが何か云うと佐野さんの愉快そうに笑う声も聞えた。金子さんも時々見に来てくれて親切に世話をやいてくれた。三浦内科に空室があるので午後三・・・ 寺田寅彦 「病中記」
・・・三男松之助は細川家に旧縁のある長岡氏に養われている。四男勝千代は家臣南条大膳の養子になっている。女子は二人ある。長女藤姫は松平周防守忠弘の奥方になっている。二女竹姫はのちに有吉頼母英長の妻になる人である。弟には忠利が三斎の三男に生まれたので・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・御供には長岡河内景則、加来作左衛門家次、山田三右衛門、佐方源左衛門秀信、吉田兼庵相立ち候。二十四日には一同京都に着し、紫野大徳寺中高桐院に御納骨いたし候。御生前において同寺清巌和尚に御約束有之候趣に候。 さて今年御用相片づき候えば、御当・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・越後国では、高田を三日、今町を二日、柏崎、長岡を一日、三条、新潟を四日で廻った。そこから加賀街道に転じて、越中国に入って、富山に三日いた。この辺は凶年の影響を蒙ることが甚しくて、一行は麦に芋大根を切り交ぜた飯を食って、農家の土間に筵を敷いて・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫