・・・バネがこわれた長椅子がある。机は相当大きいが、ひどいものだ。鉄寝台の、すっかりバネのゆるんで下へたれたのが二つ、たれ幕のうしろに並んでいる。ここは窓が二つだ。が入口はない。どうしても、手前の、水道栓のあとのある室を通って来なければ、こっちへ・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・――それがソヴェート式 廊下では 左右の長椅子を中心としてそろそろ歩ける女の患者たちが集る。揃ってお仕着せの薄灰色のガウンをかき合わせ、それだけは病わぬ舌によって空気を震わす盛な声が廊下に充満する。 Yは「ここの廊下、一寸養・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・白布をかけたテーブルがあっちこっちにあり、大きい長椅子がある。ピアノがガンガン鳴る。弾いてるのは赤い服きた瘠せた女だ。肩の骨をだして髪をふりながら自棄に鳴らしている。 長椅子の上では、やっと大人になりかけた若者――ゲルツェンの家の地下室・・・ 宮本百合子 「ソヴェト文壇の現状」
・・・書籍かり出しに、相変らず時間がかかると見えて、いつからそうなったのか、皮ばりの大長椅子が二列、三かわほど置かれ、そこにすき間なく閲覧者がかけて待っている。それは病院のような、役所のような燻んだ雰囲気である。婦人閲覧者のかり出しぐちは、別に塗・・・ 宮本百合子 「図書館」
・・・ フレンチ・ドアを背にして置かれた長椅子は、鄙びた紅天鵝絨張り、よく涙香訳何々奇談などと云った小説の插画にある通りの円い飾玉のついた椅子。更紗模様の紙をはった壁に、二つ並んで錆た金椽の飾装品が懸って居る。其こそ我々を興がらせた。遠見に淡く海・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・窓の小さいのが三つ位開いて単純な長方形のガラス越に寒そうな青白い月光の枯れ果てた果樹園を照らしてはるかに城壁が真黒に見える。長椅子からよっぽどはなれた所に青銅製の思い切って背の高いそして棒の様な台の上に杯の様な油皿のついた燈火を置い・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・映画では気の毒な月並の手法で、長椅子にかけたまま宙を見つめるカッスル夫人の前に、幻の良人が庭園の並木の間を次第に彼方へ遠のきつつ独り踊ってゆく姿を出しているのである。それならそれでいいから、その幻の踊りの姿に我ともなく体をひき立てられ、どう・・・ 宮本百合子 「表現」
・・・自分は、其那片苦しい待遇に堪えないで、縁側にある長椅子に腰をかけた。 Aは、母と相対して坐らざるを得ない。「貴方も、勿論、もう百合子からお訊きでしょうし、又斯う云う事になると云う位は、若い者でもないのだから前以て御存知だったでしょう・・・ 宮本百合子 「二つの家を繋ぐ回想」
・・・ 緋の淡き地におなじいろの濃きから草織り出だしたる長椅子に、姫は水いろぎぬの裳のけだかきおお襞の、舞のあとながらつゆくずれぬを、身をひねりて横ざまに折りて腰かけ、斜めに中の棚の花瓶を扇のさきもてゆびさしてわれに語りはじめぬ。「はや去・・・ 森鴎外 「文づかい」
・・・最後にフィンクの目に映じて来たのは壁に沿うて据えてある長椅子である。そこでその手近な長椅子に探り寄った。そこへ腰を落ち着けて、途中で止めた眠を続けようと思うのである。やっと探り寄ってそこへ掛けようと思う時、丁度外を誰かが硝子提灯を持って通っ・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫