・・・ 彼の家の門口へ駈けこんだ時、良平はとうとう大声に、わっと泣き出さずにはいられなかった。その泣き声は彼の周囲へ、一時に父や母を集まらせた。殊に母は何とか云いながら、良平の体を抱えるようにした。が、良平は手足をもがきながら、啜り上げ啜り上・・・ 芥川竜之介 「トロッコ」
・・・その中で一軒門口の往来へむいた家があった。外の光になれた私の眼には家の中は暗くて何も見えなかったが、その明るい縁さきには、猫背のおばあさんが、古びたちゃんちゃんを着てすわっていた。おばあさんのいる所の前がすぐ往来で、往来には髪ののびた、手も・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・ですから車が橋を渡って、泰さんの家の門口へやっと梶棒を下した時には、嬉しいのか、悲しいのか、自分にも判然しないほど、ただ無性に胸が迫って、けげんな顔をしている車夫の手へ、方外な賃銭を渡す間も惜しいように、倉皇と店先の暖簾をくぐりました。・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ 引窓を開けたばかりわざと勝手の戸も開けず、門口も閉めたままで、鍋をかけた七輪の下を煽ぎながら、大入だの、暦だの、姉さんだのを張交ぜにした二枚折の枕屏風の中を横から振向いて覗き込み、「姉や、気分はどうじゃの、少し何かが解って来たか、・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 太守は門口を衝と引いた。「これよ。」「ははッ。」「巫女に謝儀をとらせい。……あの輩の教化は、士分にまで及ぶであろうか。」「泣きみ、笑いみ……ははッ、ただ婦女子のもてあそびものにござりまする。」「さようか――その儀ならば、」……仔細ない・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ 芝居がえりの過ぎたあと、土塀際の引込んだ軒下に、潜戸を細目に背にした門口に、月に青い袖、帯黒く、客を呼ぶのか、招くのか、人待顔に袖を合せて、肩つき寒く佇んだ、影のような婦がある。と、裏の小路からふらりと出て、横合からむずと寄って肩を抱・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ あぶないと思ったからでもあろう、吉弥が僕を僕の門口まで送って来た。月のいい地上の空に、僕らが二つの影を投げていたのをおぼえている。 一九 返事を促しておいた劇場の友人から、一座のおもな一人には話しておいた、その・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
冬でありましたけれど、その日は、風もなく穏やかで、日の光が暖かに、門口に当たっていましたので、おみよは学校から帰りますと、ござを敷いて、その上で、人形や、おもちゃなどを出してきて遊んでいました。すこし前まで、近所のお友だちがきて、いっ・・・ 小川未明 「なくなった人形」
・・・と私は門口から言った。 すると、三十近くの痩繊の、目の鋭い無愛相な上さんが框ぎわへ立ってきて、まず私の姿をジロジロ眺めたものだ。そうして懐手をしたまま、「お上り。」と一言言って、頤を杓った。 頤で杓った所には、猿階子が掛っていて・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・などと門口に貼るよりも未だましだが、たとえば旅行すると、赤帽に二十円、宿屋の番頭に三十円などと呉れてやるのも、悪趣味だった。もっとも、これは大勢人の見ている時に限った。無論、妾も置いた。おれの知っている限りでは、十七歳と三十二歳の二人、後者・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
出典:青空文庫