・・・安全剃刀、レザー、ナイフ、ジャッキその他理髪に関係ある品物を商っているのだから、やはり理髪店相手の化粧品を商っていた柳吉には、いちばん適しているだろうと骨折ってくれた、その手前もあった。門口の狭い割に馬鹿に奥行のある細長い店だから昼間なぞ日・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・「その夜、門口まで送り、母なる人が一寸と上って茶を飲めと勧めたを辞し自宅へと帰路に就きましたが、或難い謎をかけられ、それを解くと自分の運命の悲痛が悉く了解りでもするといったような心持がして、決して比喩じゃアない、確にそういう心持がして、・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・宿屋ずまいする私たちも門口に出て、宿の人たちと一緒に麻幹を焚いた。私たちは順に迎え火の消えた跡をまたいだ。すると、次郎はみんなの見ている前で、「どれ三ちゃんや末ちゃんの分をもまたいで――」 と言って、二度も三度も焼け残った麻幹の上を・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・野袴をつけた若者が二人、畠の道具を門口へ転がしたまま、黒燻りの竈の前に踞んで煙草を喫んでいる。破れた唐紙の陰には、大黒頭巾を着た爺さんが、火鉢を抱えこんで、人形のように坐っている。真っ白い長い顎髯は、豆腐屋の爺さんには洒落すぎたものである。・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・あまり汚い家なので、門口で女達はためらって居ましたが、私は思わず大声になり、「店は汚くても、酒はいいのだ。五十年間、お酒の燗ばかりしているじいさんが居るのだ。三島で由緒のある店ですよ。」と言い、むりやり入らせて、見るともう、あの赤シャツ・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・よその女の子は、綺麗な着物を着て、そのお家の門口に出て、お得意そうに長い袂をひらひらさせて遊んでいるのに、うちの子供たちは、いい着物を戦争中に皆焼いてしまったので、お盆でも、ふだんの日と変らず粗末な洋服を着ているのです。「そう? 早く帰・・・ 太宰治 「おさん」
・・・ 門口に出ると、旆騎兵中尉が云った。「あれは誰だい。君に、君だの僕だのという、あの小男は。」「僕と話をする時、君僕と云う男を一々覚えていられるものか。」尤もである。竜騎兵中尉と君僕の交換をしている人はむやみに多いのだから。殊に少・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・その隣では仏桑花の燃ゆるように咲き乱れた門口でシャツ一つになった年とった男が植木に水をやっていた。 測候所の向かいは兵営で、インド人の兵隊が体操をやっている。運動場のすみの木陰では楽隊が稽古をやっているのをシナ人やインド人がのんきそうに・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
一 太十は死んだ。 彼は「北のおっつあん」といわれて居た。それは彼の家が村の北端にあるからである。門口が割合に長くて両方から竹藪が掩いかぶって居る。竹藪は乱伐の為めに大分荒廃して居るが、それでも庭からそこらを陰鬱にして居る。・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 折から烈しき戸鈴の響がして何者か門口をあける。話し手ははたと話をやめる。残るはちょと居ずまいを直す。誰も這入って来た気色はない。「隣だ」と髯なしが云う。やがて渋蛇の目を開く音がして「また明晩」と若い女の声がする。「必ず」と答えたのは男・・・ 夏目漱石 「一夜」
出典:青空文庫