・・・さっき牧君の紹介があったように夏目君の講演はその文章のごとく時とすると門口から玄関へ行くまでにうんざりする事があるそうで誠に御気の毒の話だが、なるほどやってみるとその通り、これでようやく玄関まで着きましたから思いきって本当の定義に移りましょ・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・あるいは福の神はこの婆さんの内の門口まで行くのであるけれど、婆さんの方で、福なんかいらないというて追い返すような人相とも見える。……………次も二人乗の車だが今度は威勢が善い。乗ってる者は、三十余りか四十にも近い位の、かっぷくの善い、堅帽を被・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・どうもひとのうちの門口に立って、もしもし今晩は、私は旅の者ですが、日が暮れてひどく困っています。今夜一晩泊めて下さい。たべ物は持っていますから支度はなんにも要りませんなんて、へっ、こんなこと云うのは、もう考えてもいやになる。そこで今夜はここ・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・今の女学校の上級生の晴れやかな稚さ、青春の門口のたっぷりした長さと思い合わせると、本当に不思議な気もちがする。長袖の紫矢がすりに袴をはき前髪をふくらませた長い下げ髪をたらし、手入れのよい靴をはいた十八九の娘たちは、一目みて育ちのよさがわかる・・・ 宮本百合子 「女の学校」
・・・ だけれども、そうして優生結婚、健全結婚が慫慂されるとき、今日の結婚論は、人間と人間との間にある愛として、結婚に入る門口として、互の理解の大切さを前提しないのはどういうわけなのだろう。 優良馬の媾配であるならば血統の記録を互に示し合・・・ 宮本百合子 「結婚論の性格」
・・・かれは糸の切れっ端を拾い上げて、そして丁寧に巻こうとする時、馬具匠のマランダンがその門口に立ってこちらを見ているのに気がついた。この二人はかつてある跛人の事でけんかをしたことがあるので今日までも互いに恨みを含んで怒り合っていた。アウシュコル・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・それを歩いて行くと、涼しいと思って門口を出ても、行き着くまでに汗になる。その事を思ったのである。 縁側に出て顔を洗いながら、今朝急いで課長に出すはずの書類のあることを思い出す。しかし課長の出るのは八時三十分頃だから、八時までに役所へ行け・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・それに初陣の時拝領した兼光を差し添えた。門口には馬がいなないている。 手槍を取って庭に降り立つとき、数馬は草鞋の緒を男結びにして、余った緒を小刀で切って捨てた。 阿部の屋敷の裏門に向うことになった高見権右衛門はもと和田氏で、近江・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・それからわたくしが料理屋の門口から往来へ出て、辻馬車を雇おうと思いますと、あなたが出し抜けにわたくしの側へ現れておいでなすったのですね。男。ええ。そうでした。貴夫人。そして内へ送って往ってやろうとおっしゃったのですね。男。ええ。・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
・・・間もなく、門口の八つ手の葉が俥の幌で揺り動かされた。俥夫の持った舵棒が玄関の石の上へ降ろされた。すると、幌の中からは婦人が小さい女の子を連れて降りて来た。「いらっしゃいませ。今晩はまア、大へんな降りでこざいまして。さア、どうぞ。」 ・・・ 横光利一 「赤い着物」
出典:青空文庫