・・・全滅後、死体の収容も出来んで、そのまま翌年の一月十二三日、乃ち、旅順開城後までほッとかれたんや。一月の十二三日に収容せられ、生死不明者等はそこで初めて戦死と認定せられ、遺骨が皆本国の聨隊に着したんは、三月十五日頃であったんや。死後八カ月を過・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・伝え聞く、箱館の五稜郭開城のとき、総督榎本氏より部下に内意を伝えて共に降参せんことを勧告せしに、一部分の人はこれを聞て大に怒り、元来今回の挙は戦勝を期したるにあらず、ただ武門の習として一死以て二百五十年の恩に報るのみ、総督もし生を欲せば出で・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・北鮮の新幕から三十八度線をこえて開城につくまでの徒歩行進の辛苦の描写は強烈で、一篇のクライマックスとなっているのであるが、著者は、新京から引揚げの開始された八月九日の夜から一ヵ年の苦しい月日のうちに起ったできごとを、その身でぶつかり、たたか・・・ 宮本百合子 「ことの真実」
出典:青空文庫