・・・澄み透った空もやや翳る。……もの案じに声も曇るよ、と思うと、その人は、たけだちよく、高尚に、すらりと立った。――この時、日月を外にして、その丘に、気高く立ったのは、その人ただ一人であった。草に縋って泣いた虫が、いまは堪らず蟋蟀のように飛出す・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ ササササと日が翳る。風景の顔色が見る見る変わってゆく。 遠く海岸に沿って斜に入り込んだ入江が見えた。――峻はこの城跡へ登るたび、幾度となくその入江を見るのが癖になっていた。 海岸にしては大きい立木が所どころ繁っている。その蔭に・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・日が翳るまで、移ってゆく日なたのなかで遊んでいるのである。虻や蜂があんなにも溌剌と飛び廻っている外気のなかへも決して飛び立とうとはせず、なぜか病人である私を模ねている。しかしなんという「生きんとする意志」であろう! 彼らは日光のなかでは交尾・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
出典:青空文庫