・・・ 天井は低く畳は黒く、窓は西に一間の中窓がある計り東のは真実の呼吸ぬかしという丈けで、室のうち何処となく陰鬱で不潔で、とても人の住むべき処でない。 簿記函と書た長方形の箱が鼠入らずの代をしている、其上に二合入の醤油徳利と石油の鑵とが・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・ちょうど三月の初めのころであった、この日は大空かき曇り北風強く吹いて、さなきだにさびしいこの町が一段と物さびしい陰鬱な寒そうな光景を呈していた。昨日降った雪がまだ残っていて高低定まらぬ茅屋根の南の軒先からは雨滴が風に吹かれて舞うて落ちている・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
なか/\取ッつきの悪い男である。ムッツリしとって、物事に冷淡で、陰鬱で、不愉快な奴だ。熱情なんど、どこに持って居るか、そんなけぶらいも見えん。そのくせ、勝手な時には、なか/\の感情家であるのだ。なんでもないことにプン/\お・・・ 黒島伝治 「自画像」
・・・ うるおいのない窓、黒くすゝけた天井、太い柱、窮屈な軍服、それ等のものすべてが私に、冷たく、陰鬱に感じられた。この陰鬱なところから、私はぬけ出ることが出来ないのだ。 軍服に着かえると、家から持って来たものを纒めて、私は外へ持って出た・・・ 黒島伝治 「入営前後」
・・・ 灰色の空が、その上から低く、陰鬱に蔽いかぶさっていた。 山は、C川の上で、二ツが一ツに合し、遙かに遠く、すんだ御料林に連っていた。そこは、何百年間、運搬に困るので、樹を伐ったことがなかった。路も分らなかった。川の少し下の方には、衛・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・セルの季節で、この陰鬱の梅雨が過ぎると、夏がやって来るのである。みんな客間に集って、母は、林檎の果汁をこしらえて、五人の子供に飲ませている。末弟ひとり、特別に大きいコップで飲んでいる。 退屈したときには、皆で、物語の連作をはじめるのが、・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・せめて様々の料理を取寄せ、食卓を賑かにして、このどうにもならぬ陰鬱の気配を取払い度く思い、「うなぎと、それから海老のおにがら焼と茶碗蒸し、四つずつ、此所で出来なければ、外へ電話を掛けてとって下さい。それから、お酒。」 母はわきで聞い・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・ あくる日、二人の女は、陰鬱な灰色の空の下に小さく寄り添って歩いている。黙って並んで歩いている。女学生はさっきから、一言聞いてみたかった。あなたはあの人を愛しているの? ほんとうに愛しているの? けれども、相手の女は、まるで一匹のたくま・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・私は、それをたどって行き、家庭のエゴイズム、とでもいうべき陰鬱な観念に突き当り、そうして、とうとう、次のような、おそろしい結論を得たのである。 曰く、家庭の幸福は諸悪の本。 太宰治 「家庭の幸福」
・・・例えば一見甚だ陰鬱な緑色のセピアとの配合、強烈に過ぎはしないかと疑われる群青と黄との対照、あるいは牡丹の花などにおける有りとあらゆる複雑な紫色の舞踏、こういうようなものが君の絵に飽かざる新鮮味を与え生気を添えている。こういう点だけでも自分の・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
出典:青空文庫