・・・「うるさいッ……あんな奴らはストライキで飯を食って歩いてる無頼漢だ、何が出来るものか……うるさいから階下へ行ってろ、階下へ行けッてば……」 お初は、仕様ことなく、赤ん坊を抱いて立上ったが、不安は依然として去らない。「あたしはおろ・・・ 徳永直 「眼」
・・・紅緑ノ二羣楼上ニ在ルノ日ハ紫隊ノ一羣ハ階下ニ留マルト云フガ如シ。楼上ニハ常ニ二隊ヲ置キ階下ニハ一隊ヲ留ムルヲ例トス。三隊互ニ循環シテ上下ス。サレバ客ノ此楼ニ登ツテ酔ヲ買ハント欲スルモノ、若シ特ニ某隊中ノ阿嬌第何番ノ艶語ヲ聞カンコトヲ冀フヤ、・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・ 二階へ上って、しばらく社のものと話した後、余は口の利けない池辺君に最後の挨拶をするために、階下の室へ下りて行った。そこには一人の僧が経を読んでいた。女が三四人次の間に黙って控えていた。遺骸は白い布で包んでその上に池辺君の平生着たらしい・・・ 夏目漱石 「三山居士」
・・・ 階下の一室は昔しオルター・ロリーが幽囚の際万国史の草を記した所だと云い伝えられている。彼がエリザ式の半ズボンに絹の靴下を膝頭で結んだ右足を左りの上へ乗せて鵞ペンの先を紙の上へ突いたまま首を少し傾けて考えているところを想像して見た。しか・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ 人数に比べて部屋の数が多過ぎるので、寄宿舎は階上を自習室にあて、階下を寝室にあててあった。どちらも二十畳ほど敷ける木造西洋風に造ってあって、二人では、少々淋しすぎた。が、深谷も安岡も、それを口に出して訴えるのには血気盛んに過ぎた。・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・ お梅が帽子と外套を持ッて来た時、階下から上ッて来た不寝番の仲どんが、催促がましく人車の久しく待ッていることを告げた。 平田を先に一同梯子を下りた。吉里は一番後れて、階段を踏むのも危険いほど力なさそうに見えた。「吉里さん、吉里さ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 女将が階下へ下りかける、階子口ですれ違いに、「ゲンコツぁん、お居やすか」「まだ寝んねおしいしまへんのん」 桃龍と里栄が入って来た。里栄は、都踊りへ出たままの顔と髪で、「おおしんど!」 直ぐそこにある茶を注いで飲んだ・・・ 宮本百合子 「高台寺」
・・・ 今、国男たちが、階下の食堂で盛に家のプランについて喋っている声がする。この家は御承知の通りダラダラと大きくて生活に不便であるので、この連中は小ぢんまりとしたものをこしらえ直して暮そうという計画なのです。 私が病院から帰って来た時分・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・階上階下とも、どの部屋にも客が一ぱい詰め掛けている。僕は人の案内するままに二階へ升って、一間を見渡したが、どれもどれも知らぬ顔の男ばかりの中に、鬚の白い依田学海さんが、紺絣の銘撰の着流しに、薄羽織を引っ掛けて据わっていた。依田さんの前には、・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・いわゆる三計塾で、階下に三畳やら四畳半やらの間が二つ三つあって、階上が斑竹山房のへんがくを掛けた書斎である。斑竹山房とは江戸へ移住するとき、本国田野村字仮屋の虎斑竹を根こじにして来たからの名である。仲平は今年四十一、お佐代さんは二十八である・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫