・・・――夫人、雨傘をすぼめ、柄を片手に提げ、手提を持添う。櫛巻、引かけ帯、駒下駄にて出づ。その遅桜を視め、夫人 まあ、綺麗だこと――苦労をして、よく、こんなに――……お礼を言いたいようだよ――ああ、ほんとうに綺麗だよ。よく、お咲・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・にわかに夕立でも来そうな空の日には、私は娘の雨傘を小わきにかかえて、それを学校まで届けに行くことを忘れなかった。 私たち親子のものは、足掛け二年ばかりの宿屋ずまいのあとで、そこを引き揚げることにした。愛宕下から今の住居のあるところまでは・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・大丈夫、雨が降らないとは思うけれど、それでも、きのうお母さんから、もらったよき雨傘どうしても持って歩きたくて、そいつを携帯。このアンブレラは、お母さんが、昔、娘さん時代に使ったもの。面白い傘を見つけて、私は、少し得意。こんな傘を持って、パリ・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・たしかに、雨傘をこっそり開く音である。日没の頃から、雨が冷たく降りはじめていたのである。誰か、外に立っているにちがいない。私は躊躇せずに窓をあけた。たそがれ、逢魔の時というのであろう、もやもや暗い。塀の上に、ぼんやり白いまるいものが見える。・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・づいた雨のふと霽れて、青空の面にはまだ白い雲のちぎれちぎれに動いている朝まだき、家毎に物洗う水の音と、女供の嬉々として笑う声の聞える折から、竿竹売の田舎びた太い声に驚かされて、犬の子は吠え、日に曝した雨傘のかげからは雀がぱっと飛び立つなど、・・・ 永井荷風 「巷の声」
雨傘をさし、爪革のかかった下駄をはいて、小さい本の包みをかかえながら、私は濡れた鋪道を歩いていた。夕方七時すぎごろで、その日は朝からの雨であった。私は、その夜手許におかなければならない本があったし、かたがたうちにいるのがい・・・ 宮本百合子 「映画」
・・・ ソヴェトのプロレタリアートは雨傘なんてなしで「十月」をやりとげた。一九三〇年、モスクワの群集中にある一本の女持雨傘は、或る時コーチクの外套ぐらい階級性を帯びるのだ。 歩道の上でかたまってる人影が見え出した。鞣防寒帽子の耳覆いを、赤・・・ 宮本百合子 「三月八日は女の日だ」
出典:青空文庫