・・・僕はとにかく雨戸をしめた座敷にたった一人横になっていた。すると誰か戸を叩いて「もし、もし」と僕に声をかけた。僕はその雨戸の向うに池のあることを承知していた。しかし僕に声をかけたのは誰だか少しもわからなかった。「もし、もし、お願いがあるの・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・一度などはお敏が心配して、電燈を片手に雨戸を開けながら、そっと川の中を覗いて見たら、向う岸の並蔵の屋根に白々と雪が残っているだけ、それだけ余計黒い水の上に、婆の切髪の頭だけが、浮巣のように漂っていたそうです。その代りこの婆のする事は、加持で・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・高い腰の上は透明なガラス張りになっている雨戸から空をすかして見ると、ちょっと指先に触れただけでガラス板が音をたてて壊れ落ちそうに冴え切っていた。 将来の仕事も生活もどうなってゆくかわからないような彼は、この冴えに冴えた秋の夜の底にひたり・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ぼくがおこしに行く前に、ポチは離れに来て雨戸をがりがり引っかきながら、悲しそうにほえたので、おとうさんもおかあさんも目をさましていたのだとおかあさんもいった。そんな忠義なポチがいなくなったのを、ぼくたちはみんなわすれてしまっていたのだ。ポチ・・・ 有島武郎 「火事とポチ」
・・・ ちょうど吹倒れた雨戸を一枚、拾って立掛けたような破れた木戸が、裂めだらけに閉してある。そこを覗いているのだが、枝ごし葉ごしの月が、ぼうとなどった白紙で、木戸の肩に、「貸本」と、かなで染めた、それがほのかに読まれる――紙が樹の隈を分けた・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・こんな蒸暑さでも心得は心得で、縁も、戸口も、雨戸はぴったり閉っていましたが、そこは古い農家だけに、節穴だらけ、だから、覗くと、よく見えました。土間の向うの、大い炉のまわりに女が三人、男が六人、ごろんごろん寝ているのが。 若い人が、鼻紙を・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 表座敷の雨戸をがらがらあけながら、例のむずかしやの姉がどなるのである。省作は眠そうな目をむしゃくしゃさせながら、ひょこと頭を上げたがまたぐたり枕へつけてしまった。目はさめていると姉に思わせるために、頭を枕につけていながらも、口のうちで・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・庭場の雨戸は未だ開いたなりに月が軒口までさし込んでいる。僕が咳払を一ツやって庭場へ這入ると、台所の話はにわかに止んでしまった。民子は指の先で僕の肩を撞いた。僕も承知しているのだ、今御膳会議で二人の噂が如何に盛んであったか。 宵祭ではあり・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・と向き直ってポツリポツリと話し出し、とうとう鶏の音が聞えて雨戸の隙が白んで来たまでも語り続けた。明るくなったので最う眠るでもないと床を離れて「それじゃア帰ろう」というと、まだ話が仕足りなさそうな容子で、「どうせ最う眠られんから運動がてら其辺・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・静かなのが、たちまちあらしに変わって、吹雪が雨戸を打つ音がしました。このとき、家の内では、こたつにあたりながら、年子は、先生のお母さんと、弟の勇ちゃんと、三人で、いろいろお話にふけっていたのでした。「スキーできる?」と、勇ちゃんがききま・・・ 小川未明 「青い星の国へ」
出典:青空文庫