・・・ そのうちに、表の雨戸の開く音がすると、「まあ、どうして、いま時分、お帰りなさったのですか?」と、お父さんがいっていなさる声が聞こえました。つづいて、なにやらいっていなさるおじいさんの声が聞こえました。「おじいさんだ。おじいさん・・・ 小川未明 「大きなかに」
・・・日光の射すのは往来に向いた格子附の南窓だけで、外の窓はどれも雨戸が釘着けにしてある。畳はどんなか知らぬが、部屋一面に摩切れた縁なしの薄縁を敷いて、ところどころ布片で、破目が綴くってある。そして襤褸夜具と木枕とが上り口の片隅に積重ねてあって、・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ 寝ることになったが、その前に雨戸をあけねばならぬ、と思った。風通しの良い部屋とはどこをもってそう言うのか、四方閉め切ったその部屋のどこにも風の通う隙間はなく、湿っぽい空気が重く澱んでいた。私は大気療法をしろと言った医者の言葉を想いだし・・・ 織田作之助 「秋深き」
一 凍てついた夜の底を白い風が白く走り、雨戸を敲くのは寒さの音である。厠に立つと、窓硝子に庭の木の枝の影が激しく揺れ、師走の風であった。 そんな風の中を時代遅れの防空頭巾を被って訪れて来た客も、頭巾を脱げば師走の顔であった。・・・ 織田作之助 「世相」
・・・嘔吐を催させるような酒の臭い――彼はまだ酔の残っているふら/\した身体を起して、雨戸を開け放した。次ぎの室で子供等が二人、蚊帳も敷蒲団もなく、ボロ毛布の上へ着たなりで眠っていた。 朝飯を済まして、書留だったらこれを出せと云って子供に認印・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ を繰返し続けたが、だんだんその叫び声が自分ながら霜夜に啼く餓えた野狐の声のような気がされてきて、私はひどく悲しくなってきて、私はそのまま地べたに身体を投げだして声の限り泣きたいと思った。雨戸を蹶飛ばして老師の前に躍りだしてやるか――がその・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・ 蚊帳をまくって起きて出、雨戸を一枚繰った。 城の本丸に電燈が輝いていた。雨に光沢を得た樹の葉がその灯の下で数知れない魚鱗のような光を放っていた。 また夕立が来た。彼は閾の上へ腰をかけ、雨で足を冷やした。 眼の下の長屋の一軒・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・もう雨戸が引きよせてある。 たどり着いて、それでも思い切って、「弁公、家か。」「たれだい。」と内からすぐ返事がした。「文公だ。」 戸があいて「なんの用だ。」「一晩泊めてくれ。」と言われて弁公すぐ身を横によけて「ま・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・ 二階の女の姿が消えると間もなく、下の雨戸を開ける音がゴトゴトして、建付の曲んだ戸が漸と開いた。「オヤ好い月だね、田川さんお上がんなさいよ」という女は今年十九、歳には少し老けて見ゆる方なるがすらりとした姿の、気高い顔つき、髪は束髪に・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・室は紙障子引きたてしのみにて雨戸ひくということもせず戸の後鎖することもせざる、さすがに御神の御稜威ありがたしと心に浸みて嬉しくおぼえ、胸の海浪おだやかに夢の湊に入る。 九日、朝四時というに起き出でて手あらい口そそぎ、高き杉の樹梢などは見・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
出典:青空文庫