・・・高架線を通る省線電車にはよくそういったマニヤの人が乗っているということですよ」「そうですかね。そんな一つの病型があるんですかね。それは驚いた。……あなたは窓というものにそんな興味をお持ちになったことはありませんか。一度でも」 その青・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・一二丁先の大通りを電車が通る。さて文公はどこへ行く? めし屋の連中も文公がどこへ行くか、もちろん知らないがしかしどこへ行こうと、それは問題でない。なぜなれば居残っている者のうちでも、今夜はどこへ泊まるかを決めていないものがある。この人々・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・「今度、KからSまで電車がつくんで、だいぶ家の土地もその敷地に売れそうじゃ。坪五円にゃ、安いとて売れるせに、やっぱし、二束三文で、買えるだけ買うといて、うまいことをやった。やっぱし買えるだけ買うといてよかった。今度は、だいぶ儲かるぞ。」・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・汽車・電車は毎日のように衝突したり、人をひいたりしている。米と株券と商品の相場は、刻々に乱高下している。警察・裁判所・監獄は、多忙をきわめている。今日の社会においては、もし疾病なく、傷害なく、真に自然の死をとげうる人があるとすれば、それは、・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 前から来るのを、のんびりと待ち合せてゴトン/\と動く、あの毎日のように乗ったことのある西武電車を、自動車はせッかちにドン/\追い越した。風が頬の両側へ、音をたてゝ吹きわけて行った、その辺は皆見慣れた街並だった。 N駅に出る狭い道を・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・暮れから道路工事の始まっていた電車通りも石やアスファルトにすっかり敷きかえられて、橡の並み木のすがたもなんとなく見直す時だ。私は次郎と二人でその新しい歩道を踏んで、鮨屋の店の前あたりからある病院のトタン塀に添うて歩いて行った。植木坂は勾配の・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ 或人は、電車で神田神保町のとおりを走っているところへ、がたがたと来て、電車はどかんととまる、びっくりしてとび下りると同時に、片がわの雑貨店の洋館がずしんと目のまえにたおれる、そちこちで、はりさけるような女のさけび声がする、それから先は・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・りゃもう吐くのではなかろうか、どうなるのだろう、と自分ながら、そらおそろしくなって来て、さすがにもう、このへんでよそうと思っても、こんどは友人が、席をあらためて僕にこれからおごらせてくれ、と言い出し、電車に乗って、その友人のなじみの小料理屋・・・ 太宰治 「朝」
一 山手線の朝の七時二十分の上り汽車が、代々木の電車停留場の崖下を地響きさせて通るころ、千駄谷の田畝をてくてくと歩いていく男がある。この男の通らぬことはいかな日にもないので、雨の日には泥濘の深い田畝道に古い長靴を引きずっていくし・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・おれはそれを提げて、来合せた電車に乗って、二分間ほどすると下りた。「旦那。お忘れ物が。」車掌があとからこう云った。 おれは聞えない振りをして、ずんずん歩いた。そうすると大騒ぎになった。電車に乗っていた連中が総立ちになる。二人はおれを・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
出典:青空文庫