・・・さいと、炉の縁へ坐らせまして、手前も胡坐を掻いて、火をほじりほじり、仔細を聞きましても、何も言わずに、恍惚したように鬱込みまして、あの可愛げに掻合せた美しい襟に、白う、そのふっくらとした顋を附着けて、頻りとその懐中を覗込みますのを、じろじろ・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・などの嗜みなしとするも、茶の湯の如きは深くも浅くも楽むことが出来るのである、最も生活と近接して居って最も家族的であって、然も清閑高雅、所有方面の精神的修養に資せられるべきは言うを待たない、西洋などから頻りと新らしき家庭遊技などを輸入するもの・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・燕の夫婦が一つがい何か頻りと語らいつつ苗代の上を飛び廻っている。かぎろいの春の光、見るから暖かき田圃のおちこち、二人三人組をなして耕すもの幾組、麦冊をきるもの菜種に肥を注ぐもの、田園ようやく多事の時である。近き畑の桃の花、垣根の端の梨の花、・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・巌本は頻りに二葉亭の人物を讃歎して、「二葉亭は哲学者である、シカモ輪廓の大なる人物である、」と激称していた。『浮雲』は私の当時の愛読書の一つで、『あいびき』や『めぐりあい』をも感嘆して何度も反覆していたから是非一度は面会したいと思いながらも・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・尤も日本の政治家に漢詩以外の文学の造詣あるものは殆んどなかったが、その頃政治家が頻りと小説を作る流行があって、学堂もまた『新日本』という小説染みたものを著わした。余り評判にもならなかったが、那翁三世が幕府の遣使栗本に兵力を貸そうと提議した顛・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・ 後からも後からも、頻りなしに風は吹いていました。けれど同じ風が二たび自分を吹くのを海豹は見ませんでした。「もしもし、あなたはこれからどちらへお行きになるのですか……。」と、海豹はこの時、自分の前を過ぎる風に向かって問いかけたの・・・ 小川未明 「月と海豹」
・・・ところが自分は志村を崇拝しない、今に見ろという意気込で頻りと励げんでいた。 元来志村は自分よりか歳も兄、級も一年上であったが、自分は学力優等というので自分のいる級と志村のいる級とを同時にやるべく校長から特別の処置をせられるので自然志村は・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・ 自体拙者は気に入らないので、頻りと止めてみたが、もともと強情我慢な母親、妹は我儘者、母に甘やかされて育てられ、三絃まで仕込まれて自堕落者に首尾よく成りおおせた女。お前たちの厄介にさえならなければ可かろうとの挨拶で、頭から自分の注意は取・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ 或日の夕暮、一人の若い品の佳い洋服の紳士が富岡先生の家の前えに停止まって、頻りと内の様子を窺ってはもじもじしていたが遂に門を入って玄関先に突立って、「お頼みします」という声さえ少し顫えていたらしい。「誰か来たぞ!」と怒鳴ったの・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・吉は老いても巧いもんで、頻りと身体に調子をのせて漕ぎます。苫は既に取除けてあるし、舟はずんずんと出る。客はすることもないから、しゃんとして、ただぽかんと海面を見ていると、もう海の小波のちらつきも段と見えなくなって、雨ずった空が初は少し赤味が・・・ 幸田露伴 「幻談」
出典:青空文庫