・・・人間がいるそうだぐらいの評判で持ち切って下されば私もはなはだ満足の至りであったろうが、今日汽車電話の世の中ではすでに仙人そのものが消滅したから、仙人に近い人間の価値も自然下落して、商館の手代そのままの風采を残念ながら諸君の御覧に入れなければ・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・即ち我が精神を自信自重の高処に進めたるものにして、精神一度び定まるときは、その働きはただ人倫の区域のみに止まらず、発しては社会交際の運動となり、言語応対の風采となり、浩然の気外に溢れて、身外の万物恐るるに足るものなし。談笑洒落・進退自由にし・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・それから立居振舞も気が利いていて、風采も都人士めいている。「それに第一流の大家と来ている」と、オオビュルナンは口の内で詞に出して己を嘲った。 自動車が止まった。オオビュルナンは技手に待っていろと云って置いて、しずかに車を下りてロメエヌ町・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・その着こなしも風采も恩給でもとっている古い役人という風だった。蕗を泉に浸していたのだ。(青金の鉱山できいて来たのですが、何でも鉱山の人たちなども泊 老人はだまってしげしげと二人の疲れたなりを見た。二人とも巨きな背嚢をしょって地図・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・「どうです、異派席の連中は、私たちの仲間にくらべては少し風采でも何でも見劣りするようですね。」 私も笑いました。「どうもそうのようですよ。」 陳氏が又云いました。「けれども又異教席のやつらと、異派席の連中とくらべて見たん・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・七つ八つの子供から二十を越したぐらいの男や女の子が、様々の表情と風采とをもつ勤人たちの波に混って、楡の芽立ちかけた横通りを来るのである。それらの人通りは、あんまりひろくない通りいっぱいに溢れて来るから、こちらからその人の流をさかのぼるように・・・ 宮本百合子 「新入生」
・・・地方から上京して来ている相当の年配の、村の有力者という風采の男が相当多い。背中に大きい縫紋のついた羽織に、うしろ下りの袴姿で、弁当などつかっている。 婦人の傍聴人はその間にちらり、ちらりと見えるだけであった。ベンチのとなりに派手な装いの・・・ 宮本百合子 「待呆け議会風景」
・・・この時よりずっと後になって、僕はゴリキイのフォマ・ゴルジエフを読んだが、若しきょうあのフォマのように、飾磨屋が客を攫まえて、隅田川へ投げ込んだって、僕は今見たその風采ほど意外には思わなかったかも知れない。 飾磨屋は一体どう云う男だろう。・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・貴族的な風采の旧藩主の家令と、大男の畑少将とが目に附いた。その傍に藩主の立てた塾の舎監をしている、三枝と云う若い文学士がいた。私は三枝と顔を見合せたので会釈をした。 すると三枝が立って私の傍に来て、欄干に倚って墨田川を見卸しつつ、私に話・・・ 森鴎外 「余興」
・・・わたくしも自分がかなり風采の好い男だとは思っていました。しかしまあ世間普通の好男子ですね。世間でおめかしをした Adonis なんどと云う性で、娘子の好く青年士官や、服屋の見本にかいてある男にある顔なのです。そこでわたくしは非常に反抗心を起・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「最終の午後」
出典:青空文庫