・・・玉川鉄道で二子に行って若鮎を食うのも興がある。国府台に行って、利根を渡って、東郊をそぞろあるきするのも好い。 端午の節句――要垣の赤い新芽の出た細い巷路を行くと、ハタハタと五月鯉の風に動く音がする。これを聞くと、始めて初夏という感を深く・・・ 田山花袋 「新茶のかおり」
・・・私は飯を食うためにこのような空想を中止しなければならないのであった。 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・「へえ、こんなところで天麩羅を食うんだね」私はこてこて持ちだされた食物を見ながら言った。「それああんた、あんたは天麩羅は東京ばかりだと思うておいでなさるからいけません」桂三郎は嗤った。 雪江はおいしそうに、静かに箸を動かしていた・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・東京の都人が食後に果物を食うことを覚え初めたのも、銀座の繁華と時を同じくしている。これは洋食の料理から、おのずと日本食の膳にも移って来たものであろう。それ故大正改元のころには、山谷の八百善、吉原の兼子、下谷の伊予紋、星ヶ岡の茶寮などいう会席・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・「まあ大概そのくらいさ、家へ帰って飯を食うとそれなり寝てしまう。勉強どころか湯にも碌々這入らないくらいだ」と余は茶碗を畳の上へ置いて、卒業が恨めしいと云う顔をして見せる。 津田君はこの一言に少々同情の念を起したと見えて「なるほど少し・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・俺達あみんな働きすぎたんだ。俺達あ食うために働いたんだが、その働きは大急ぎで自分の命を磨り減しちゃったんだ。あの女は肺結核の子宮癌で、俺は御覧の通りのヨロケさ」「だから此女に淫売をさせて、お前達が皆で食ってるって云うのか」「此女に淫・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・これをたとえば、飢たる時に物を喰うは同説なれども、一方は早く喰わんといい、一方は徐々に喰わんというが如し。双方ともに理あり。食物の品柄次第にて、にわかにこれを喰いて腹を痛むることあり、養生法においてもっとも戒むるところなれば用心せざるべから・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・されど若し其の身のある調子とか意気な調子とかいうものは如何なもので御座る、拙者未だ之を食うたことは御座らぬと、剽軽者あって問を起したらんには、よしや富婁那の弁ありて一年三百六十日饒舌り続けに饒舌りしとて此返答は為切れまじ。さる無駄口に暇潰さ・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・でもってこの者は死刑に処せられたばかりでなく、次の世には粟散辺土の日本という島の信州という寒い国の犬と生れ変った、ところが信州は山国で肴などという者はないので、この犬は姨捨山へ往て、山に捨てられたのを喰うて生きて居るというような浅ましい境涯・・・ 正岡子規 「犬」
・・・もっともお前はどこへ行ったって食うものもなかろうぜ。」 ブドリは泣き出しそうになりましたが、やっとこらえて言いました。「そんなら手伝うよ。けれどもどうして網をかけるの?」「それはもちろん教えてやる。こいつをね。」男は、手に持った・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
出典:青空文庫