・・・うちの女中は、本当によく駈ける。北町一丁目の馬と冗談を云う位。それが本性を発揮し私の夢の裡でまで彼那勢いで駈け出したのかと思ったら、ひとりでににやにやした。烏のことは見当がつかない。空気銃を持っている子供を、慶応のグラウンドの横できのう見た・・・ 宮本百合子 「静かな日曜」
・・・俥夫は、駈けるのを中止した。のたのた歩き、段々広くもない町の右側に擦りよって行く。曲角でも近いのかと、首をさし延し、私は、瞬間、自分の眼を信じ得なかった。ジャパン・ホテルは、彼方の丘のクリーム色の軽快な建物などであるものか。つい鼻の先に横文・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・ それからすぐの家の門へ入るまで私は、まるで駈けると同じ様な速さで、何も考えるいとまもなく急いだ。祖母の顔を見るとすぐ、「甚助の家の児達は、ほんとうに、いやな児だ!と云ったっきり縁側に腰をかけて仕舞った。口に云われない安・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・ 藍子は、一寸躊躇していたが、元気よく駆けるように大日坂を下り、石切橋から電車に乗った。 尚子の処に、思いがけず清田はつ子、森鈴子という連中が来ていた。明治末葉の、漠然婦人運動者と呼ばれている人々であった。 黒い紋羽二重の被布に・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・ 祖父の家には、荷馬車屋、韃靼人の従卒、軍人と、お喋りで陽気なその細君などが間借りしていて、中庭では年じゅう叫ぶ声、笑う声、駈ける足音が絶えないのであったが、台所の隣りに、窓の二つついた細長い部屋があった。その部屋を借りているのは、痩せ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・素足で街道のぬかるみを駆けるので、ぴちゃぴちゃ音がした。 その時ツァウォツキイは台所で使う刃物を出した。そしてフランチェンスウェヒを横切って、ウルガルン王国の官有鉄道の発起点になっている堤の所へ出掛けた。 ここはいつもリンツマンの檀・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・よい具合だと思って速力を増して駈ける。五六間手前まで行くと電車は動き初めた。しまッたと思いながらなお懸命に追い駈けて行く。電車はだんだん早くなる。それを見てとても乗れまいという気がしたので、私はふと立ち留まった。その瞬間にあれに乗らなければ・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫