・・・そこで駈けだすようにして、車夫に教わったその横町へ入ると、なるほど山本屋という軒行灯が目に入った。 貝殻を敷いた細い穢い横町で、貧民窟とでもいいそうな家並だ。山本屋の門には火屋なしのカンテラを点して、三十五六の棒手振らしい男が、荷籠を下・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・死んだやうになつてゐた数秒、しかし再び意識をとり戻した彼が、勇敢にも駈け出した途端に両手に煉瓦を持つて待ちぶせてゐた一人が、立てつづけに二個の煉瓦を投げつけ、ひるむところをまたもや背後から樫棒で頭部を強打したため、かの警官はつひにのめるやう・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・ 私は突嗟に起ちあがって、電報を握ったまま暗い石段を駈け下り、石段の下で娘に会ったが同じことを言って、夢中で境内を抜けて一気にこぶくろ坂の上まで走った。そして坂の途中まで下りかけていた彼らの後からオーイオーイF!……と声をかけた。「・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・私は先へ行ってお土産を、と手折りたる野の花を投げ捨てて、光代は子供らしく駈け出しぬ。裾はほらほら、雪は紅を追えり。お帰り遊ばせと梅屋の声々。 四 あくまで無礼な、人を人とも思わぬかの東条という奴、と酔醒めの水を一息に・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・と響き渡る高い調子で鸚鵡は続けざま叫び出したので、政法も木村も私もあっけに取られていますと、駆けこんで来たのが四郎という十五になるこの家の子です。「鸚鵡をくださいって」と、かごを取って去ってしまいました。この四郎さんは私と仲よしで、近い・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・という掛声とともに、別の橇が勢いよく駈けこんできた。手綱が引かれて馬が止ると同時に防寒帽子の毛を霜だらけにした若いずんぐりした支那人がとびおりた。ひと仕事すまして帰ってきたのだ。「どうしたい?」 毛布を丸めている呉清輝にきいた。・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・ 源三はいささかたじろいだ気味で、「なあに、無暗に駈け出して甲府へ行ったっていけないということは、お前の母様の談でよく解っているから、そんな事は思ってはいないけれど、余り家に居て食い潰し食い潰しって云われるのが口惜いから、叔父さんに・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・ 雨戸がせわしく開いて、娘さんが梯子を駈け上がって行く。俺は知らずに息をのんでいた。 畜生! 何んてことだ、又忘れてやがらない! 俺たちはがっかりしてしまった。「六号!」 その時、看守が大声で怒鳴った。 見付けられたな、・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・もないとすぐから取って俊雄の歓迎費俊雄は十分あまえ込んで言うなり次第の倶浮れ四十八の所分も授かり融通の及ぶ限り借りて借りて皆持ち寄りそのころから母が涙のいじらしいをなお暁に間のある俊雄はうるさいと家を駈け出し当分冬吉のもとへ御免候え会社へも・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ 七兵衞は委細構わずどッとゝ駈けてまいると、ちら/\雪が降り出してまいりました。どッとゝ番町今井谷を下りまして、虎ノ門を出にかゝるとお刺身にお吸物を三杯食ったので胸がむかついて耐りませんから、堀浚いの泥と一緒に出ていたを、其の方がだん/・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
出典:青空文庫