・・・長く白い足で、太腹を蹴ると、馬はいっさんに駆け出した。誰かが篝りを継ぎ足したので、遠くの空が薄明るく見える。馬はこの明るいものを目懸けて闇の中を飛んで来る。鼻から火の柱のような息を二本出して飛んで来る。それでも女は細い足でしきりなしに馬の腹・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・ 見習は、いきなり駆け出した。 ――俺が踏み殺したんじゃあるまいか? 一度俺は踏みつけて見たぞ! 両足でドンと。―― 彼は、恐しい夢でも見てるような、無気味な気持に囚われながら、追っかけられながら、デッキのボースンの処へ駆けつけ・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・』 若子さんも私も駆出してプラットフォームへ入ったのでした。此処とても直きに一杯の人になって了ったし、汽車がもう着くかもう着くかと、其方にばかし気を奪られて、彼の二三人の人の事は拭った様に忘れて居ました。 万歳の声が其那一体――プラ・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・算を乱して駆け出したぞ。ヴィンダー 活溌な火気奴! 活動をつづけろ。何より俺の頼もしい配下だ。飛べ、飛べ! ぐんと飛んで焼き払え。祖先の時柄にも似合わず、プラミシュースに盗ませた火と云うものの真の威力を知らせて呉れよう。水になんぞは怯じ・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・それから二人で顏を見合わせて腹の底からこみ上げて来るような笑い声を出したかと思うと、一しょに立ち上がって、厨を駆け出して逃げた。逃げしなに寒山が「豊干がしゃべったな」と言ったのが聞えた。 驚いてあとを見送っている閭が周囲には、飯や菜や汁・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・すると、えと云って振り向いたが、人違をしなさんな、おいらあ虎と云うもんだと云っといて、まだ雨がどしどし降っているのに、駆け出して行ってしまやがった」 今一人が云った。「じゃあ又帰っていやがるのだ。太え奴だなあ」 須磨右衛門は二人に声・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・もうだいぶ内のなかが暗くなっていましたから、わたくしにはばあさんがどれだけの事を見たのだかわかりませんでしたが、ばあさんはあっと言ったきり、表口をあけ放しにしておいて駆け出してしまいました。わたくしは剃刀を抜く時、手早く抜こう、まっすぐに抜・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
・・・相手はこんな言いわけをして置いて、弦を離れた矢のように駆け出した。素足で街道のぬかるみを駆けるので、ぴちゃぴちゃ音がした。 その時ツァウォツキイは台所で使う刃物を出した。そしてフランチェンスウェヒを横切って、ウルガルン王国の官有鉄道の発・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・あなたが馬車を雇いに駆け出しておいでになったあとに、わたくしは二分間ひとりでいました。あなたはわたくしに考える余裕をお与えなさいましたのですわ。その間にわたくしが後悔しておことわりをせずに、我慢していましたのは、よっぽどあなたに迷っていた証・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
・・・が、またぶらぶら流し元まで戻って来ると俎を裏返してみたが急に彼は井戸傍の跳ね釣瓶の下へ駆け出した。「これは甘いぞ、甘いぞ。」 そういいながら吉は釣瓶の尻の重りに縛り付けられた欅の丸太を取りはずして、その代わり石を縛り付けた。 暫・・・ 横光利一 「笑われた子」
出典:青空文庫