鳥居を越す
《狐が何度も鳥居を飛び越せば稲荷大明神になれるとの俗説から》年功を積み、老獪 (ろうかい) になる。「おそらく—・したる帥中間」〈浮・椀久二世〉
とりいかず【鳥居数】
《稲荷大明神になるために狐が鳥居を飛び越える回数の意》経験の数。年功。場数 (ばかず) 。
とりいきよなが【鳥居清長】
[1752〜1815]江戸後期の浮世絵師。江戸の人。姓は関(一説に関口)。俗称、新助、のち市兵衛。初世清満に師事し、鳥居家4代目を継承。長身で健康的ないわゆる「清長風美人」を確立。代表作「風俗東之錦」など。
とりいきよのぶ【鳥居清信】
[1664〜1729]江戸中期の浮世絵師。初世。大坂の人。俗称、庄兵衛。鳥居派の祖。父清元とともに江戸に移る。瓢箪足 (ひょうたんあし) や蚯蚓描 (みみずが) きとよばれる躍動的な描法を創始して豪快な役者絵を確立。また、美人画にもすぐれた。
とりいきよます【鳥居清倍】
江戸中期の浮世絵師。初世。俗称、庄二郎。鳥居家2代目に擬せられる。清信の長男とも弟とも伝えられる。丹絵 (たんえ) ・漆絵による、すぐれた役者絵・美人画を残した。生没年未詳。
とりいきよみつ【鳥居清満】
[1735〜1785]江戸中期の浮世絵師。初世。江戸の人。俗称、亀次郎。2世清倍 (きよます) の次男。鳥居家3代目で、紅摺 (べにず) り絵による役者絵・美人画のほか、黒本・黄表紙の挿絵でも活躍。
とりいしょうじ【鳥居障子】
清涼殿の台盤所から鬼の間まで立て渡した衝立 (ついたて) 障子。柱の上部が鳥居の形をしている。
とりいすねえもん【鳥居強右衛門】
[?〜1575]戦国時代の武士。三河の人。名は勝商 (かつあき) 。三河長篠城主奥平信昌の家臣。武田勝頼に囲まれた長篠城から脱出して徳川家康に援軍を頼み、使命を果たしたが、帰途捕らえられ、援軍の来ることを大声で城内に告げたため磔刑 (たっけい) に処された。
とりいそせん【鳥居素川】
[1867〜1928]ジャーナリスト。熊本の生まれ。本名、赫雄 (てるお) 。大阪朝日新聞編集局長となり、民本主義の論陣を張ったが、大正7年(1918)筆禍事件で退社。のち大正日日新聞を創刊。
とりいぞり【鳥居反り】
刀の反りの中心が刀身の中程にあり、全体が鳥居の笠木 (かさぎ) のような形をしたもの。笠木反り。京反り。