・・・…… 後年黄檗慧林の会下に、当時の病み耄けた僧形とよく似寄った老衲子がいた。これも順鶴と云う僧名のほかは、何も素性の知れない人物であった。 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・ 向島の言問の手前を堤下に下りて、牛の御前の鳥居前を小半丁も行くと左手に少し引込んで黄蘗の禅寺がある。牛島の弘福寺といえば鉄牛禅師の開基であって、白金の瑞聖寺と聯んで江戸に二つしかない黄蘗風の仏殿として江戸時代から著名であった。この向島・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・書斎の壁にはなんとかいう黄檗の坊さんの書の半折が掛けてあり、天狗の羽団扇のようなものが座右に置いてあった事もあった。セピアのインキで細かく書いたノートがいつも机上にあった。鈴木三重吉君自画の横顔の影法師が壁にはってあったこともある。だれかか・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・ 今籠町の黄檗宗崇福寺へ行って、唐門前の石欄から始めて夕暮の市を俯瞰した時、その心理的効果がはっきり感じられて面白かった。 崇福寺は由緒も深く、建築も特別保護建造物になって居るが、私共の趣味ではよさを直感されなかった。京都の黄檗山万・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・ 崇福寺は、黄檗宗の由緒ある寺だが、荒廃し、入口の処、白い築地の崩れた間を通って行くようになっている。龍宮造りの山門を潜り石段を登ると、風化作用によって一種趣のついた石欄がある。奥に、朱塗の唐門があり、鍵の手に大雄宝殿――本堂となってい・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
出典:青空文庫