・・・ すると一陣の風が吹き起って、墨のような黒雲が一面にあたりをとざすや否や、うす紫の稲妻がやにわに闇を二つに裂いて、凄じく雷が鳴り出しました。いや、雷ばかりではありません。それと一しょに瀑のような雨も、いきなりどうどうと降り出したのです。・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・今はこれまでぞと云うままに、頸を入れてまた差覗くや、たちまち、黒雲を捲き小さくなりて空高く舞上る。傘の飛ぶがごとし。天赤かりしとや。天狗相伝の餅というものこれなり。 いつぞやらん、その松任より、源平島、水島、手取川を越えて、山に入る、辰・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ 社の神木の梢を鎖した、黒雲の中に、怪しや、冴えたる女の声して、「お爺さん――お取次。……ぽう、ぽっぽ。」 木菟の女性である。「皆、東京の下町です。円髷は踊の師匠。若いのは、おなじ、師匠なかま、姉分のものの娘です。男は、円髷・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・(私がついていられると可 と云う中にも、風のなぐれで、すっと黒髪を吹いて、まるで顔が隠れるまで、むらむらと懸る、と黒雲が走るようで、はらりと吹分ける、と月が出たように白い頬が見えたと云う…… けれども、見えもせぬ火事があると、そ・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ちょうど汀の銀の蘆を、一むら肩でさらりと分けて、雪に紛う鷺が一羽、人を払う言伝がありそうに、すらりと立って歩む出端を、ああ、ああ、ああ、こんな日に限って、ふと仰がるる、那須嶽連山の嶺に、たちまち一朶の黒雲の湧いたのも気にしないで、折敷にカン・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・明神の晴れたる森は、たちまち黒雲に蔽わるるであろうも知れない。 銑吉は、少からず、猟奇の心に駆られたのである。 同時にお誓がうつくしき鳥と、おなじ境遇に置かるるもののように、衝と胸を打たれて、ぞっとした。その時、小枝が揺れて、卯の花・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・天地この時、ただ黒雲の下に経立つ幾多馬の子ほどのお犬あり。一つずつかわるがわる吠ゆる声、可怪しき鐘の音のごとく響きて、威霊いわん方なし。 近頃とも言わず、狼は、木曾街道にもその権威を失いぬ。われら幼き時さえ、隣のおばさん物語りて――片山・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・ 夕焼けのした晩方に、海の上を、電光がし、ゴロゴロと雷が鳴って、ちょうど馬車の駆けるように、黒雲がいくのが見られます。それを見ると、この町の人々は、「赤い姫君を慕って、黒い皇子が追っていかれる。」と、いまでも、いっているのでありまし・・・ 小川未明 「赤い姫と黒い皇子」
・・・ たかは、黒雲に、伝令すべく、夕闇の空に翔け上りました。古いひのきは雨と風を呼ぶためにあらゆる大きな枝、小さな枝を、落日後の空にざわつきたてたのであります。 小川未明 「あらしの前の木と鳥の会話」
・・・月が円く、東の空から上る晩も、また、黒雲が出て外の真っ暗な晩も、こうもりは、りんご畑の上を飛びまわりました。その年は、りんごに虫がつかずよく実って、予想したよりも、多くの収穫があったのであります。村の人々は、たがいに語らいました。「牛女・・・ 小川未明 「牛女」
出典:青空文庫