・・・堂脇はこんなふうに歩いて、お嬢さんはこんなふうに歩いてそうして俺の脇に突っ立って画を描くのをじっと見ていたっけが、庭にはいりこんだのを怒ると思いのほか、ふんと感心したような鼻息を漏らした。お嬢さんまでが「まあきれいだこと」と御意遊ばした。僕・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・これが看板で、小屋の正面に、鼠の嫁入に担ぎそうな小さな駕籠の中に、くたりとなって、ふんふんと鼻息を荒くするごとに、その出額に蚯蚓のような横筋を畝らせながら、きょろきょろと、込合う群集を視めて控える……口上言がその出番に、「太夫いの、太夫・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・と、もどかしそうな鼻息を吹く。「何でございます、その、さような次第ではございません。それでございますから、申しにくいのでございますが、思召を持ちまして、お蝋を一挺、お貸し下さる事にはなりますまいでございましょうか。」「じゃから、じゃ・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・ 喘ぐわ、舐るわ!鼻息がむッと掛る。堪らず袖を巻いて唇を蔽いながら、勢い釵とともに、やや白やかな手の伸びるのが、雪白なる鵞鳥の七宝の瓔珞を掛けた風情なのを、無性髯で、チュッパと啜込むように、坊主は犬蹲になって、頤でうけて、どろりと嘗め込・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ ――もお―― 濡れた鼻息は、陽炎に蒸されて、長閑に銀粉を刷いた。その隙に、姉妹は見えなくなったのである。桃の花の微笑む時、黙って顔を見合せた。 子のない夫婦は、さびしかった。 おなじようなことがある。様子はちょっと違ってい・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・と、上を向いて太い鼻息を吹きかけますと、からすはびっくりして、「ばか、ばか。」と、悪口をいって逃げ去ってしまいました。 からすは、ついに牛をおだてそこないました。そして野や、圃の上を飛んできますと、今度は一ぴきの馬が並木につながれて・・・ 小川未明 「馬を殺したからす」
・・・魔が自分に投げ与えた一の目的の為めに、良心ならぬ猛烈の意志は冷やかに働らいて、一に妻の鼻息を覗かがっている。こうして二時間経ち、十二時が打つや、蒼い顔のお政は死人のように横たわっているのを見届けて、前夜は盗賊を疑ごうて床を脱け出た自分は、今・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ 副官が這入って来ると、彼は、刀もはずさず、椅子に腰を落して、荒い鼻息をしながら、「速刻不時点呼。すぐだ、すぐやってくれ!」「はい。」「それから、炊事場へ露西亜人をよせつけることはならん。残飯は一粒と雖も、やることは絶対にな・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・漁師の鼻息ったら、たいしたものさ。平目一まいの値段が、僕たちの一箇月分の給料とほぼ相似たるものだからな。このごろの漁師はもう、子供にお小遣いをねだられると百円札なんかを平気でくれてやっているのだからね。 そう、そうらしいですね。(部屋の・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・西洋の学者がそれについて何とかいうのを待ってその鼻息を窺ってから決定した方がいい、ということになる恐れがある。ところが西洋では東洋人の独創などはよほどなものでないと見遁されやすい。不幸なのは独創性をもって生まれた研究者である。 日本の学・・・ 寺田寅彦 「学位について」
出典:青空文庫