・・・ 麓を見ると、塵焼場だという、煙突が、豚の鼻面のように低く仰向いて、むくむくと煙を噴くのが、黒くもならず、青々と一条立騰って、空なる昼の月に淡く消える。これも夜中には幽霊じみて、旅人を怯かそう。――夜泣松というのが丘下の山の出端に、黙っ・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・そのうちにライオンとも虎ともつかぬ動物がやって来て自分に近寄り、そうして自分の顔のすぐ前に鼻面を接近させる。振返って見ると西洋人はもういない。どういう訳か自分は「オーイ早く菓子を持って来い」と大声で云おうとするが舌がもつれて云えない。そこで・・・ 寺田寅彦 「夢判断」
・・・黒き馬の鼻面が下に見ゆるとき、身を半ば投げだして、行く人のために白き絹の尺ばかりなるを振る。頭に戴ける金冠の、美しき髪を滑りてか、からりと馬の鼻を掠めて砕くるばかりに石の上に落つる。 槍の穂先に冠をかけて、窓近く差し出したる時、ランスロ・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・華やかな人間の行事にも無関心な動物の自然さで、白と黒との立派な斑牛はのんびり鼻面をもたげ主人にそびらを向け、生きていることが気持よいという風に汀に向って水を飲んでいる。 視角の高い画面の構成は、全体が闊達で、自在なこころの動きがただよっ・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
・・・それにつれて斑犬もひょいと駈け、鼻面を引こめ、またひょいと駈け跟いて来る。佐和子がおかしがって、「やあ父様についちゃった、かぎつけた」と囃した。「ほんと! ほんと! お父ちゃまについちゃった!」 父が振かえった拍子に、犬の鼻へ包・・・ 宮本百合子 「海浜一日」
・・・ 力をこめておどかしたら、鼠はあんまりあわてて、おそらく鼻面を向けていた方へいきなり飛んだらそこには私の顔があり、こんどは鼠より私がびっくりしてしまった。鼠は夜目が見えるだろうのに! ○ああそれから、天気の曇った日には、私がよろこんで仕・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・俵を一俵ずつ両手に下げた厚司前垂の若衆がとある家の勝手口へ入った、もしや、と思って待っていたがなかなか出て来ないし、こちらに時間があるので歩き出したら、角の電柱のはずれから可愛い茶色の朝鮮牛が無邪気な鼻面をのぞけている。見れば、その牛車一杯・・・ 宮本百合子 「この初冬」
・・・そして、山の手人は食慾を失い、ロンドンが踏んまえている者の鼻面へオーデコロンをぬった鼻面を擦りつけさせられなければならぬ。 幅ひろい雨がロンドンに降った。夏の終りだ。ペーヴメントを濡し薄い女靴下をびっしょりにして降る雨は、自動車がほ・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
出典:青空文庫