・・・ 好意からの助言には相違無いが、若崎は侮辱されたように感じでもしたか、「いやですナア蟾蜍は。やっぱり鵞鳥で苦みましょうヨ。」と、悲しげにまた何だか怨みっぽく答えた。「そんなに鵞鳥に貼くこともありますまい。」「イヤ、君だっ・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・ところが、第二番目のハドウ、それは少し山の経験が足りなかったせいもありましょうし、また疲労したせいもありましたろうし、イヤ、むしろ運命のせいと申したいことで、誤って滑って、一番先にいたクロスへぶつかりました。そうすると、雪や氷の蔽っている足・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・で、学者も学問の種類によっては、学問が深くなれば是非骨董の世界に頭を突込み手を突込むようになる。イヤでも黴臭いものを捻くらなければ、いつも定まりきった書物の中をウロツイている訳になるから、美術だの、歴史だの、文芸だの、その他いろいろの分科の・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・又人間の心をもイヤに西洋の奴らは直線的に解剖したがるから、呆れて物がいえない、馬鹿馬鹿しい折詰の酢子みたような心理学になるのサ。一切生活機能のあるもの、いい直して見れば力の行われているものを直線的にぐずぐず論ずるのが古来の大まちがいサ。アア・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・青い汚い顔をして、何日いたのか身体中プーンといやなにおいをさせているのです。――娘の話によると、レポーターとかいうものをやっていて、捕かまったそうです。 ところが娘は十日も家にいると、またひょッこり居なくなるのでした。そして二三ヵ月もす・・・ 小林多喜二 「疵」
・・・ その日、予審廷の調べを終って、又自動車に乗せられると、今度は何んとも云えないイヤな気持ちがした。来るときは、それでもウキ/\していたのだ。 新宿は矢張り雑踏していた。美しい女が自動車の前で周章てるのを見ると、俺だちは喜んだ。―・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・そして、「イヤ! 私いや!」と言って、頭を振った。「ききたいんだ」 間。「どうして?」「どうしでもさ。金のためにか、すきでか……」「私言わないもの……」女はきゅうに笑いだした。「好きで入ったんだろう」彼はちょっと・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・殿「いや其の方の手許に置いて宜かろう、授かり物じゃ」 と早々石川様から御家来をもちまして、書面に認め、此の段町奉行所へ訴えました。正直の首に神宿るとの譬で、七兵衞は図らず泥の中から一枚の黄金を獲ましたというお目出度いお話でございます・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・半生の間の歓しいや哀しいが胸の中に浮んで来た。あの長い漂泊の苦痛を考えると、よく自分のようなものが斯うして今日まで生きながらえて来たと思われる位。破船――というより外に自分の生涯を譬える言葉は見当らない。それがこの山の上の港へ漂い着いて、世・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・しかしこればかりでは地球がいやでも西から東に転ずるのと少しも違ったところはない、徹した心持がない、生きていない、不満足である。そこでいろいろ考えて見ると、どうもやはりその底に撞きあたるものは神でも真理でもなくして、自己という一石であるように・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
出典:青空文庫