・・・二十八のフランシスは何所といって際立って人眼を引くような容貌を持っていなかったが、祈祷と、断食と、労働のためにやつれた姿は、霊化した彼れの心をそのまま写し出していた。長い説教ではなかったが神の愛、貧窮の祝福などを語って彼がアーメンといって口・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・なるほどひと晩のことだから一つに纏めて現した方が都合は可いかも知れないが、一時間は六十分で、一分は六十秒だよ。連続はしているが初めから全体になっているのではない。きれぎれに頭に浮んで来る感じを後から後からときれぎれに歌ったって何も差支えがな・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・この両様とも悉しくその姿を記さざれども、一読の際、われらが目には、東遊記に写したると同じ状に見えていと床し。 しかるに、観聞志と云える書には、――斎川以西有羊腸、維石厳々、嚼足、毀蹄、一高坂也、是以馬憂これをもってうまかいたいをうれう、・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ 大空には、あたかもこの海の沖を通って、有磯海から親不知の浜を、五智の如来へ詣ずるという、泳ぐのに半身を波の上に顕して、列を造って行くとか聞く、海豚の群が、毒気を吐掛けたような入道雲の低いのが、むくむくと推並んで、動くともなしに、見てい・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ その癖、傍で視ると、渠が目に彩り、心に映した――あのろうたけた娘の姿を、そのまま取出して、巨石の床に据えた処は、松並木へ店を開いて、藤娘の絵を売るか、普賢菩薩の勧進をするような光景であった。 渠は、空に恍惚と瞳を据えた。が、余りに・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・蓋し僕には観音経の文句――なお一層適切に云えば文句の調子――そのものが難有いのであって、その現してある文句が何事を意味しようとも、そんな事には少しも関係を有たぬのである。この故に観音経を誦するもあえて箇中の真意を闡明しようというようなことは・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・ 目鼻立ちのばらりとした、額のやや広く、鼻の隆いのが、……段の上からと、廊下からと、二ヶ処の電燈のせいか、その怪しい影を、やっぱり諸翼のごとく、両方の壁に映しながら、ふらりと来て、朦朧と映ったが、近づくと、こっちの息だか婦の肌の香だか、・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ すらすらと歩を移し、露を払った篠懸や、兜巾の装は、弁慶よりも、判官に、むしろ新中納言が山伏に出立った凄味があって、且つ色白に美しい。一二の松も影を籠めて、袴は霧に乗るように、三密の声は朗らかに且つ陰々として、月清く、風白し。化鳥の調の・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ 医学士は取るとそのまま、靴音軽く歩を移してつと手術台に近接せり。 看護婦はおどおどしながら、「先生、このままでいいんですか」「ああ、いいだろう」「じゃあ、お押え申しましょう」 医学士はちょっと手を挙げて、軽く押し留・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・(烏の頭を頂きたる、咽喉の黒き布をあけて、少き女の面を顕し、酒を飲まんとして猶予あれ、ここは私には口だけれど、烏にするとちょうど咽喉だ。可厭だよ。咽喉だと血が流れるようでねえ。こんな事をしているんだから、気になる。よそう。まあ、独言を云って・・・ 泉鏡花 「紅玉」
出典:青空文庫