・・・再び眠りに落ちてうとうとしながら、古い昔に死んだ故郷の人の夢を見た。フロイドの夢判断に拠るまでもなく、これは時鳥や水鶏が呼び出した夢であろう。 宿の庭の池に鶺鴒が来る。夕方近くなると、どこからともなく次第に集まって来て、池の上を渡す電線・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・よく響くその声が、道太のうとうとしている耳にも聞こえた。お絹も寝床にいて、寝たふりで聞いていた。 道太は裏の家に大散財があったので、昨夜は夜中に寝床を下へもってきてもらって、姉妹たちの隣りの部屋に蚊帳を釣っていた。冷え冷えした風が流れて・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・妄念が止まず湧いて彼を悩ました。うとうとして居ると赤が吠えながら駈け出したように思われてはっと眼が醒めたり、鍋の破片へまけてやった味噌汁をぴしゃぴしゃと嘗めて居る音が聞えるように思われたり、自分の寝て居る床の下に赤が眠って居るように思われた・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・幸ひっそりとした一構えに、人の気はいもない様子を見届けて、麺麭と葡萄酒を盗み出して、口腹の慾を充分充たした上、村外れへ出ると、眠くなって、うとうとしている所へ、村の女が通りかかる。腹が張って、酒の気が廻って、当分の間ほかの慾がなくなった乞食・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
上 うとうとしたと思ううちに眼が覚めた。すると、隣の室で妙な音がする。始めは何の音ともまたどこから来るとも判然した見当がつかなかったが、聞いているうちに、だんだん耳の中へ纏まった観念ができてきた。何でも山葵おろしで大根かなにかを・・・ 夏目漱石 「変な音」
・・・ズーズーズーズー行く中に余りひどい音がしたので、今まで熱にうかされてうとうととして居たような心持が破られた。首をあげて見ると新坂の踏切で汽車に逢うたのであった。それからまたズーズーズーズー行く中に急に明りがさしたから、見ると右側に一面にスリ・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・そしてそのままうとうとした。ダーダーダーダーダースコダーダー 強い老人らしい声が剣舞の囃しを叫ぶのにびっくりして富沢は目をさました。台所の方で誰か三、四人の声ががやがやしているそのなかでいまの声がしたのだ。 ランプがいつ・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・ ひるすぎは先生もたびたび教壇で汗をふき、四年生の習字も五年生六年生の図画もまるでむし暑くて、書きながらうとうとするのでした。 授業が済むとみんなはすぐ川下のほうへそろって出かけました。嘉助が、「又三郎、水泳ぎに行がないが。小さ・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・ 深い紺碧をたたえてとうとうとはて知らず流れ行く其の潮は、水底の数知れぬ小石の群を打ちくだき、岩を噛み、高く低く波打つ胸に、何処からともなく流れ入った水沫をただよわせて、蒼穹の彼方へと流れ去る。 此の潮流を人間は、箇人主義又は利己主・・・ 宮本百合子 「大いなるもの」
・・・ 今はもう只うとうとと眠って居る様な妹に一言云いたいために――一度その名を呼びたいと私は唇をしっかりかんで唇のふるえるのを鎮め、私の顔を苦しく引きつらして行く痙攣を押え様とした。 二三分の後わずかに静かになった心をそうっと抱えて私は・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
出典:青空文庫