・・・わたくしはふと江戸の戯作者また浮世絵師等が幕末国難の時代にあっても泰平の時と変りなく悠々然として淫猥な人情本や春画をつくっていた事を甚痛快に感じて、ここに専花柳小説に筆をつける事を思立った。『新橋夜話』または『戯作者の死』の如きものはその頃・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・ されば今の世の教育論者が、今のこの不遜軽躁なる世態に感動してこれを憂うるははなはだ善し。またこれに驚くも至当の事なれども、論者はこれを憂い、これに驚きて、これを古に復せんと欲するか。すなわち元禄年間の士人と見を同じゅうして、元禄の忠孝・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・羲之の書をデモ書家が真似したとて其筆意を取らんは難く、金岡の画を三文画師が引写にしたればとて其神を伝んは難し。小説を編むも同じ事也。浮世の形を写すさえ容易なことではなきものを況てや其の意をや。浮世の形のみを写して其意を写さざるものは下手の作・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・題詠必ずしも悪しとに非ず、写実必ずしも善しとに非ず。されど今日までの歌界の実際を見るに題詠に善き歌少くして写実に俗なる歌少し。曙覧が実地に写したる歌の中に飛騨の鉱山を詠めるがごときはことに珍しきものなり。日の光いたらぬ山の洞のうちに・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・その時の幼い滑稽絵師が今の為山君である。○僕に絵が画けるなら俳句なんかやめてしまう。〔『ホトトギス』第三巻第五号 明治33・3・10〕 正岡子規 「画」
・・・傍観者は攫者の左右または後方にあるを好しとす。 ベースボールいまだかつて訳語あらず、今ここに掲げたる訳語はわれの創意に係る。訳語妥当ならざるは自らこれを知るといえども匆卒の際改竄するに由なし。君子幸に正を賜え。升 附記・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・情感のゆたかな深い点に触れ得る人は好しいものです。〔一九二四年五月〕 宮本百合子 「異性の何処に魅せられるか」
・・・資本を持った雑誌は、数えるほどしかなく、それらの雑誌社は売れ口を数でこなすために、もっとも文化水準の低い広汎なおくれた層を目指し、支配階級がその商売を援助するように内容を飽くまでも、支配する側にとって良しと考えられる方向へ編輯するのである。・・・ 宮本百合子 「今日の文化の諸問題」
・・・ 千世子とは正反対にただ音無しい京子の性質と何でもをうけ入れやすい加型(性のたっぷりある頃からの仲善しだったと云う事が千世子と京子の間のどうしても切れない「つなぎ」になって居たばっかりであったろう。 一言一言を頭にきいて話す頭の友達・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
・・・お二人が首尾好く本意を遂げられれば好し、万一敵に多勢の悪者でも荷担して、返討にでも逢われれば、一しょに討たれるか、その場を逃れて、二重の仇を討つかの二つより外ない。足腰の立つ間は、よしやお暇が出ても、影の形に添うように離れぬと云うのであった・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫