・・・という簡潔な形式によって判断が浮んで来ないのであります。幼稚な智識をもった者、没分暁漢あるいは門外漢になると知らぬ事を知らないですましているのが至当であり、また本人もそのつもりで平気でいるのでしょうが、どうも処世上の便宜からそう無頓着でいに・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・の原稿が夫程の手数が省けたとて早く出来上る性質のものでもなし、又ペンにすれば余の好むセピヤ色で自由に原稿紙を彩どる事が出来るので、まあ「彼岸過迄」の完結迄はペンで押し通す積でいたが、其決心の底には何うしても多少の負惜しみが籠っていた様である・・・ 夏目漱石 「余と万年筆」
・・・当時の私の態度なり行儀なりははなはだ見苦しいものだと思いますが、それでも簡潔に云う事だけは云って退けました。ではその時何と云ったかとお尋ねになるかも知れませんが、それはすこぶる簡単なのです。私はこう云いました。――国家は大切かも知れないが、・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・アフォリズムとは、だれも知る如くエッセイの一層簡潔に、一層また含蓄深くエキスされた文学である。したがつてそれは最も暗示に富んだ文学で、言葉と言葉、行と行との間に、多くの思ひ入れ深き省略を隠して居る。即ち言へば、アフォリズムはそれ自ら「詩」の・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・それに黴の臭いの外に、胸の悪くなる特殊の臭気が、間歇的に鼻を衝いた。その臭気には靄のように影があるように思われた。 畳にしたら百枚も敷けるだろう室は、五燭らしいランプの光では、監房の中よりも暗かった。私は入口に佇んでいたが、やがて眼が闇・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・勝負は小勝負九度を重ねて完結する者にして小勝負一度とは甲組が防禦の地に立つ事と乙組が防禦の地に立つ事との二度の半勝負に分るるなり。防禦の地に立つ時は九人おのおのその専務に従い一、二、三等の位置を取る。但しこの位置は勝負中多少動揺することあり・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・今日宗教の最大要件は簡潔である。吾人の哲学はこの二語を以て既に千六百万人の世界各地に散在する信徒を得た。否、凡そ神を信ずる者にしてこの二語を奉ぜざるものありや、細部の諍論は暫らく措け、凡そ何人か神を信ずるものにしてこの二語を否定するものあり・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・が解せないようにもある。微妙な事情があって、そういう形式がとられたとして、何故、外国旅行に出るという前の外見は華やかであって、実は平凡な夜、その勘当は許され得るのであろう。「夜明け前」が完結した時に、老境に在る芸術家にとって真に感想深かるべ・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・白地に黒で簡潔に市役所と書いた札が立てられているのである。ほかに見物人もない廃墟の間を歩いていると、自分たちの声が遠いところまで反響してゆくのがわかる。 もとの市中をぬけると、砲台のあったぐるりの山々までいかにも打ちひらいた眺望である。・・・ 宮本百合子 「女靴の跡」
・・・宣言の簡潔な力強い文章のなかに、エンゲルスとマルクスとがその時までになしとげた、あらゆる科学的研究の結果が具体化されていた。 第一回ロンドン大会にマルクスが出席出来なかったのは簡単で絶対な一つの理由によった。旅費の工面が出来なかったので・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
出典:青空文庫