・・・花が枯れて水が腐ってしまっている花瓶が不愉快で堪らなくなっていても始末するのが億劫で手の出ないときがある。見るたびに不愉快が増して行ってもその不愉快がどうしても始末しようという気持に転じて行かないときがある。それは億劫というよりもなにかに魅・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・ 水瀦に映る雲の色は心失せし人の顔の色のごとく、これに映るわが顔は亡友の棺を枯れ野に送る人のごとし。目をあげて心ともなく西の空をながむればかの遠き蒼空の一線は年若きわれらの心の秘密の謎語のごとく、これを望みてわが心怪しゅう躍りぬ。ああ年・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・むずかしく言えば一種霊活な批評眼を備えていた人、ありていに言えば天稟の直覚力が鋭利である上に、郷党が不思議がればいよいよ自分もよけいに人の気質、人の運命などに注意して見るようになり、それがおもしろくなり、自慢になり、ついに熟練になったのであ・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・ 実にそうである、豊吉の精根は枯れていたのである。かれは今、堪ゆべからざる疲労を感じた。私塾の設立! かれはこの言葉のうち、何らの弾力あるものを感じなくなった。 山河月色、昔のままである。昔の知人の幾人かはこの墓地に眠っている。豊吉・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・ やや行き過ぎて若者の一人、いつもながら源叔父の今宵の様はいかに、若き女あの顔を見なばそのまま気絶やせんと囁けば相手は、明朝あの松が枝に翁の足のさがれるを見出さんもしれずという、二人は身の毛のよだつを覚えて振向けば翁が門にはもはや燈火見・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ 天地の大道に則した善き人間となりたいという願い、『教養と倫理学』――の中に私が書いたような青春のなくてならぬもひとつの要請と、やむにやまれぬこの恋のあくがれとを一つに燃えさしめよ。 善によって女性の美を求め、女性の美によって善を豊・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・兵舎の樋から落ちた水は、枯れた芝生の間をくぐって、谷間へ小さな急流をなして流れていた。 松木と武石との中隊が、行衛不明になった時、大隊長は、他の中隊を出して探索さした。大隊長は、心配そうな顔もしてみせた。遺族に対して申訳がない、そんなこ・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・とるなら勝手に取りやがれ! 巡査も、ウヤムヤで来なくなってしまった。ところが、十一月に麦蒔きが始まった頃である。お屋敷の屋根からとんでくる鳩が麦の畝をホジくった。鳩は麦の種子を食う。金肥えの鰊粕を食う。鳩を追う。が、人がいなくなると、鳩はま・・・ 黒島伝治 「名勝地帯」
・・・へへ、役員の野郎、犬になりやがって、ざま見やがれ!――あいつら、もと/\犬だからね。」「ふむゝ。」 彼等は、珍しがった。作り話と知りつゝ引きつけられた。「俺等だって、賃銀を上げろ、上げなきゃ、畜生! 熔鉱炉を冷やしてかち/\にし・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・我身の若さ、公の清らに老い痩枯れたるさまの頼りなさ、それに実生の松の緑りもかすけき小ささ、わびきったる釣瓶なんどを用いていらるるはかなさ、それを思い、これを感じて、貞徳はおのずから優しい心を動かしたろう、どうぞこの松のせめて一、二尺になるま・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
出典:青空文庫